大河ドラマ「真田丸」や映画「真田十勇士」で、脚光を浴びている真田幸村。そのゆかりの地が頴娃にあるということで行ってみた。
概要
真田幸村及び、戦国の世の終結となった最期の闘い、大阪夏の陣での活躍は、武門の誉れ高い島津家からも「真田日本一の兵、いにしへよりの物語にもこれなき由」と言われている。その最後は、三度目の家康本陣突撃後、身体を休めているところを討ち取られた。というのが一般的だ。
ところが、大坂城落城後、京童たちはこのような歌をうたっていたという。
「花のようなる秀頼様を鬼のようなる真田が連れて退きも退いたり加護島へ」
どうも幸村生存説はうわさとして流れてはいたようだ。
文政11年(1828年)には、信濃松代藩の第8代藩主 真田幸貫が「家の幸村は薩摩にゆきたると覚し」と話した記録がある。
また、谷山に豊臣秀頼の墓と呼ばれるものがあるのも興味深い。薩摩に逃れた秀頼は谷山に住み大酒飲みであったことから「谷山の酔人」、幸村は「頴娃の山伏」と呼ばれたという話があり、実際に頴娃に伝わる墓というものが雪丸地区の山の中にあるのだ。※幸村が訛って雪丸になったという。
アクセス
まずは南九州市頴娃町雪丸地区へ。雪丸地区に入ると至るところに案内が設置されているので、案内に従って進んでいく。しばらく進むと…
やられた。。(笑)
多分皆さんが行く時は大丈夫だと思いますが、ここに車を置き歩みを進めます。
途中の道は茶畑があり、なんとも気持ちのよい道(^_^)そして…
これが本来の駐車場。そこからちょっと上がると。。
このような小屋が!ん??左のは一体??
粋ですねヽ(^o^)丿丸い小石の伝説にかけて、丸いキャップで命を救う試みです。素晴らしい!
キャップを置かせてもらってお墓に進もうと思ったけど、向かい側に気になる案内。。
まあ、せっかくだから寄り道してみましょう!ということで寄り道(^_^)
こんな道や
こんな道を進むと…
願岩成就なる岩が。
なかなかのガッツです。まるで岩に木がまたがっているようですね!そしてその先には
素晴らしい景色が広がりますヽ(^o^)丿これがゆんまいの丘かな??まだ、道には先があったのですがここで引き返しました。さてここからが本題。
真田幸村の墓へ
先に紹介した小屋に手作りの杖を置いて下さっているので使わせて頂きます。はっきりいいますがこれあった方がよいです。上りはともかく下りに時の安心感半端ありません。転ばぬ先の杖とはよくいったものです。で、進む道にはこんなものも設置してくれています。
完全手作りの腰かけ!年配の方は助かると思います!ちなみに道のりは。。
こんな感じですので(^_^;) そして途中途中には
味のある幸村くんならぬ「ゆきまるくん」が案内してくれます。はげまされたので頑張っていきます。
そして道は続き。。
独特の方言が(笑)
キバります。。
モイッキ!モイッキ!って。。。
登るの少し急になったような。。そして。。
着きましたーーー!
真田幸村のお墓とは?
到着したところに静かに。。
綺麗に石が置かれてますね。。
よい雰囲気です。
信州信濃に行った事はないのですが、山林や参道の雰囲気はよいです。幸村のお墓だとしたら、彼の故郷のようなこの場所にお墓があるのは妙に納得。
まとめ
実際、信憑性はかなり厳しいとは思いますが、夢のある伝承ではあります。頭ごなしに「そんなわけない!」と言わず、是非とも訪ねて頂きたいですね。
あと、地域の皆さんがこのお墓の整備や案内をされているのが素晴らしいです。行政だけでは限界がある中、地元に伝わる伝承を大切にされている心意気をひしひしと感じます。
時を超えこうして、鹿児島でも地域に影響を与える真田幸村。やっぱり凄いですね。
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それではまた(o・・o)/~