お花スポット 【曽於市】吾平山上陵:神武天皇の両親が眠る陵墓で小伊勢とも呼ばれる景観を楽しむ 今までニニギノミコトの陵墓である可愛山陵、その子ヒコホホデミノミコト(山幸彦)の陵墓である高屋山上稜、その妻である豊玉姫の豊玉姫陵と、天孫降臨から神武天皇に繋がる系譜と陵墓をお参りしてきました。 今回ようやく神武天皇の両親であるウガヤフキアエズノミコトと玉依姫命の陵墓にお参りすることができましたので、ご報告いたします... 2017年9月17日 takupt
史跡 【霧島市】高屋山上陵:鹿児島空港からほど近い位置にある神代三山陵のひとつ。 天孫降臨で有名なニニギノミコトの子であるヒコホホデミノミコト(山幸彦)の陵墓が鹿児島空港近くにあるとのことでお参りしてきました。 高屋山上陵がこの地に治定されたのは、1874年(明治7年)のことです。まずは、この場所を知る前にヒコホホデミノミコト(山幸彦)の物語について軽く触れます。 海幸彦山幸彦の神話 海幸彦山幸彦の... 2017年1月5日 takupt
史跡 【霧島市】熊襲の穴:日本書紀や古事記に残る日本武尊VS熊襲の首領 伝説の洞穴 遠い昔、妙見温泉付近には"クマソ"と呼ばれる人々が住んでいました。彼らは熊のように猛々しく勇ましかったらしく、それが元となり古事記では「熊曽」日本書紀では「熊襲」として描かれています。 この熊襲の首領 川上タケルが、日本武尊(この時は小碓尊)によって殺害された場所が、川上タケルが住んでいたという熊襲の穴になるわけです... 2016年12月19日 takupt
南九州市観光 【南九州市川辺町】飯倉神社と大楠:玉依姫命を祀る神社と雷に割かれながら今も生き続ける樹齢1200年の大楠 鹿児島に伝わる神話を追っていき川辺の飯倉神社へ。ここは神武天皇の母「玉依姫命」が祀られています。 概要 鹿児島神社庁によると 度々の火災のため、記録の多くを焼失しているが、規模が極めて宏大で多数の崇敬者を擁する大社であった諸記録がある。当初開門岳一帯に鎮座されていたが、元明天皇和銅年間に現在の川辺の地に鎮座されたと伝え... 2016年11月5日 takupt
史跡 【曽於市】溝ノ口洞穴:曽於市を代表する自然が造り出した文化財 今回は、曽於市財部にある数千年という永い年月を経てできた洞穴、溝ノ口洞穴へ行ってまいりました! アクセス 宮崎県の都城市にほど近い山の中にあります。駐車場はありますが、道幅が狭く離合できませんのでご注意ください。 住所 鹿児島県曽於市財部町下財部4907 高齢者・障害者向け環境情報 車いすが安全に通るには、入口の柵を管... 2016年5月27日 takupt
南九州市観光 【南九州市川辺町】豊玉姫陵と豊玉姫神社:あまり知られていない神話の姫のお墓 山幸彦の妃である豊玉姫。 知覧には豊玉姫のお墓と伝えられる場所があり、豊玉姫を祀った神社がある。 豊玉姫陵 また、豊玉姫陵は、田畑のど真ん中にある。この地は昔より「鍬をいれてはならない」と伝えられた場所。 以前は、木々が覆い茂っていたというが、耕地整理が行われた時も、この場所はそのまま残されたらしい。 道路に案内はある... 2016年3月24日 takupt
南さつま市観光 【南さつま市】野間神社・野間岳:ニニギノミコトを中心に皇神を祭る 山道を登って、ある神社にたどり着いた結果、登山までしてしまった話。 野間神社・野間岳 概要 野間神社の創始年代は不明。ただ、社記によると野間岳の山腹に神代の都「笠狭宮」があったとされている。 標高591mの小山ながら古くから山岳信仰の対象となっており、海上から目立つため、特に航海者からの信仰が厚かった。 当初は野間岳の... 2016年3月12日 takupt
史跡 玉乃井:日本最古の井戸は唐船峡のそばにある! 伝説の古井戸を訪ねてみました。 玉乃井 概要 神武天皇の祖父、彦火々出見尊(山幸彦)が、なくしてしまった兄の釣り針を探している際、この地で朝夕、井戸を汲んでいた豊玉姫と初めて出会ったといわれています。 その時の井戸と言われているのが、この「玉乃井」です。※そのゆかりからか、この付近の土地は玉井という地区になります。 道... 2016年3月12日 takupt
神社 可愛山陵(新田神社):ニニギノミコトの陵墓と子宝祈願でも有名 天孫降臨後の足跡をたどって薩摩川内市へ。 可愛山陵(新田神社) 概要 天上の国(高天原(たかまのはら))から地上へ降臨したニニギノミコトの陵墓であり、鹿児島県内に存在する宮内庁指定の神代三山陵のひとつ。 神代三山陵は、他に霧島の高屋山陵、鹿屋の吾平山稜がある。 皇室の祖先神であるニニギノミコトは、天孫降臨後、後年に川内... 2016年3月3日 takupt
南さつま市観光 【南さつま市】笠狭宮跡:日本発祥の地 語り継がれるニニギノミコトの宮 南さつま市に日本発祥の地と呼ばれるところがあると聞き行ってみました。 笠狭宮跡 概要 南さつま市舞敷野地区。 天孫降臨後、黒瀬海岸より上陸したニニギノミコトが居を構えたという「笠狭宮」があった場所と伝えられる場所がそこにある。※「笠狭宮跡」とされる場所は笠沙宮ノ山遺跡にもある。 到着すると日本発祥の地と記された碑があっ... 2016年3月2日 takupt
南さつま市観光 【南さつま市】宮ノ山遺跡:神話で伝えられる天孫降臨後の宮はどちらだ? 笠狭宮伝説が残る地へ伺いました。 宮ノ山遺跡 標高240m。笠沙宮ノ山には、ニニギノミコトが初めての宮居である笠狭宮を定めたところという説がある。 概要 以下、【笠沙宮跡案内図の宮ノ山由緒】より 皇孫ニニギノミコトが宮居を定めるべき地を探し求めて吾多の長屋の笠沙の御前においでになり、塩土の翁から領地の献上を受けられ「こ... 2016年3月1日 takupt
南さつま市観光 【南さつま市】黒瀬海岸(ニニギノミコト上陸地):神話が残る場所。天孫降臨後の軌跡 南さつま市笠沙 黒瀬海岸(ニニギノミコト上陸地)※高齢者・障害者向け環境情報あり 高千穂の天孫降臨は聞いたことがあるかもしれないが、その内容やその後を知る人は少ない。 天孫降臨とは、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が天照大神(あまてらすおおみかみ)の命令により、葦原の中つ国を統治するため高天原(たかまがはら)から天降った話だ... 2016年2月24日 takupt