島津家ゆかりの地の記事一覧
「明くれど閉ざす雲暗く~薄(すすき)かるかやそよがせて~」 鹿児島三大行事のひとつ妙円寺詣り。管理人も小学生の折、上記の歌を歌いながら徳重神社を目指して歩いた経験があります。 しかし当時、小学生ながら疑問に感じていたのです。 「”妙円寺詣り”なのに、なんで徳重神社なの??」 そこのところの事情も含め、まずは妙円寺詣...
前回ご紹介した本城の大銀杏がある本城小学校跡の近くに、鎌倉期の寺跡がある案内を見つけたので訪ねてみました。 アクセス 場所は、本城小学校跡より橋を渡った先にあります。車を本城小学校跡に置いて歩いていける距離です。 地図 現場レポート のんびりした雰囲気の道路を歩いて行くと右手にそれらしい場所が見えて来ました。 「道隆寺...
伊作島津家という分家の出ながら、その聡明さで島津家の混乱を収束させ、三州統一、九州制覇への躍進、明治期まで繋がる島津家の礎を築いた島津家中興の祖「島津日新(忠良)公」 幼児期に暴れん坊だった日新公は、母常盤により伊作亀丸城の川向いにある「真言宗海蔵院」の8代住職頼増に預けられ、厳しい教育を受けることになります。 そ...
多くの寺跡がある日置市。都度都度、時間をみつけては訪ねていますが、今回は薩摩琵琶発祥の地「中島常楽院跡」にお邪魔しました。 中島常楽院とは? 中島常楽院は、島津家初代である島津忠久公が薩摩守護として薩摩に降った際に、京都(滋賀説もあり)にあった妙音寺常楽院の住職「宝山検校」を伴ったことが始まりと言われています。※宝山...
栗野方面に突発的な用事があり遠征(^_^)ノープランだったので用事を済ませた後に、現地で「なんかないかなー」と探すのは久しぶりで、ちょっとわくわくしてました。これが、再発見!というテーマの楽しみ方。 で、訪ねたのは、湧水町の運動公園となっている「松尾城跡」 松尾城とは 松尾城。またの名を栗野城とも言います。元々は、肝付...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.11~ 今回は、斉彬公の活躍や西郷隆盛との対立から、物語の中ではスポットの当たり方があまりよろしくない、島津久光公の銅像にお伺いしました。 島津久光公とは 誕生 1817年10月24日 第10代薩摩藩藩主 島津斉興公の5男として生誕。母はお由羅の方であり、斉興公の寵愛を受けた側室です...
じめさあ(持明院様)は、鹿児島県民、特に女性から慕われる島津家のお姫様です。 では、なぜ慕われているのでしょうか?そもそもどんな女性だったのでしょうか?鶴嶺神社との関係は?いろいろ謎があると思いますので、まずは、じめさあ(持明院様)がどのような人物なのかを御紹介していきます(^_^) じめさあ(持明院様)とは? 時は戦...
鹿児島観光といえば?と問われるとその名が必ず出てくる仙巌園。2015年には、世界文化遺産「明治日本の産業遺産」として、旧集成館(反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館を含む)が、関吉の疎水溝、寺山炭窯跡と共に登録。さらにさらに2017年大河ドラマ「西郷どん」と益々注目を集める場所になっています。 じつは以前に...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.9~ 伊集院駅前に勇壮な島津義弘公の像。駅前という好立地の為、見た事がある方は多いと思いますのが、より深く知って頂けたらありがたいと思います。 義弘公の歴史 戦国期におけるその活躍は戦国好きや歴史好きの間では圧倒的な支持を得ています。まずはそんな義弘公の歴史をご紹介します。 1535...
今回は日置市日吉町にある赤山靭負墓所のご紹介です。 また、赤山靱負ご本人についても、幕末の歴史好きなら知っている人も多いのですが、一般的にはあまり知られていない。。(^^;)と、いうことで、まずは赤山靭負という人物についても一緒にご紹介していきます! この記事を要約すると ・赤山靱負の人生についてご紹介 ・赤山靱負のお...
日置市日吉町日置。県道37号線から城の下地区から日新小方面へ曲がった道の先に桂山寺跡がある。 桂山寺の開基は不明だが、日置島津家三代目当主常久公が父忠隣公の菩提寺として一岳等忍和尚が寺を再興させたといわれている。 ※関連:日置島津家初代 島津歳久公墓所(大乗寺跡) https://kagoshimayokamon.co...
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