シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.9~

伊集院駅前に勇壮な島津義弘公の像。駅前という好立地の為、見た事がある方は多いと思いますのが、より深く知って頂けたらありがたいと思います。

島津義弘

義弘公の歴史

戦国期におけるその活躍は戦国好きや歴史好きの間では圧倒的な支持を得ています。まずはそんな義弘公の歴史をご紹介します。
1535年 伊作城亀丸城にて島津貴久公の次男として誕生。母は雪窓夫人
1546年 11歳で元服
1554年 岩剣城の戦いにて初陣を飾る。その功績により岩剣城の城主に任じられる。
1560年 一時的に飫肥の島津忠親公の元へ養子縁組するが、飫肥城陥落に伴い解消。その後、飯田城を居城とする。
1566年 兄 島津義久公に家督を譲られると義弘公はさらに島津家の勢力拡大に多きな貢献を果たしていく。

木崎原の戦い

1572年 伊東軍3000を1十分の一の300の兵で撃退。この時、かの有名な「釣り野伏せ」(つりのぶせ)の戦術を駆使したといわれる。
1577年 日向を支配下におく。これにより豊後の大友宗麟との対立が明確化。大友家家臣 田原親賢が30000の大軍で遠征する。

耳川の戦い

1578年 田原親賢の軍勢を「釣り野伏せ」(つりのぶせ)で撃退。これにより大友家は衰退。

沖田畷の戦い

1586年 肥前の熊 龍造寺隆信を弟家久公と共に島原で討ち取る。

1587年 島津家による九州統一目前で、窮した大友宗麟の援軍要請を受けた豊臣秀吉の九州征伐軍が来襲。

戸次川の戦い

では、仙石秀久を大将とする豊臣軍を撃退したものの、根白坂の戦いでは戦力差は歴然であり、島津忠隣、猿渡信光らが討死し敗走。※島津忠隣公のお墓はコチラ
同年豊臣秀吉に降伏。義弘公は大隅国の所領安堵を認められ、島津義久公と同格の大名に処される。その後、義久公から家督を譲られ島津家第17代当主に。

文禄の役

1592年 朝鮮側の晋州城を陥落させるなど活躍。しかし、朝鮮で嫡男の島津久保公を病気で失う。

慶長の役

1597年 諸説あるが30000の敵を、僅か7000で撃退。鬼石曼子と朝鮮軍、明軍から恐れられていたとされる。※この時、朝鮮から陶工たちを連れてきて現在の美山付近に住まわせている。
1599年 剃髪し「惟新斎」と号している。これは祖父日新公の影響が多大だったといわれている。

関ヶ原の戦い

1600年 義弘公は徳川家康からの援軍要請を受け伏見城を守る鳥居元忠の元へ行くが、鳥居元忠は援軍を聞いていないと入城を拒否。これにより義弘は西軍石田方へつくこととなる。(管理人個人の意見では、鳥居元忠は討死を覚悟し伏見城を守っていた為、自分たち以外の犠牲者を望まなかったのかもしれない)

西軍石田方へつくことになったが手勢は少ないため、義弘公は国元に援軍を要請。ところが本国はこれを静観する。国を二分する戦いの長期化や九州の動乱も考えると難しいところだったとも考えられるが、やはり徳川方へつきたかったというところかもしれない。

義弘公は仕方なくそのまま関ヶ原へ布陣。しかし、寡兵の義弘軍は石田方にその存在が軽視されこれに激怒。戦況を傍観し状況を見定める。その後、諸将の裏切りで西軍は総崩れとなり、島津軍の退路は断たれてしまう。ここで、義弘公は覚悟をする。

敵中突破である。

島津の退き口

島津義弘

はじめ義弘公は討死覚悟の徳川本陣突撃を口にしたという。それを翻意させたのが弟家久公の息子 島津豊久公と重臣 長寿院盛淳だった。義弘公が生きて薩摩に戻る必要性を説き、ここに島津の退き口が始まる。決死の突撃は東軍の虚を突き、徳川本陣の側方をかすめて戦場を突破していく。

妙円寺参りの歌に歌われる「名だたる敵の井伊本多」

徳川四天王に数えられる二人の勇将井伊直政、本多忠勝らの追撃を受けながら、島津勢は、何人かずつが留まって死ぬまで敵の足止めをする「捨て奸(すてがまり)」という撤退戦法で対抗。これにより家康の息子松平忠吉、そして井伊直政にも重傷を負わせ、のちに二人はこの傷が元で死んでしまっている。

一方、島津軍も島津豊久、長寿院盛淳が討死。かろうじて撤退に成功した義弘公達。生きて薩摩に戻ったのは、わずか80名ほどだったと言われる。これが妙円寺詣りに繋がるのである。

その後、家康に対し本国に温存された軍備を背景に硬軟自在の外交戦を展開し1602年に赦免。西軍大名として唯一の本領安堵となる会心の戦後処理を獲得する。これには関ヶ原における脱出劇やそれを目の当たりにした東軍諸将の口添えもあったためと言われている。

晩年

加治木に隠居し1619年7月21日没。享年85歳。この時に13名の家臣が殉死している。
墓所は福昌寺跡にあり、位牌は日置市の妙円寺にある。

銅像

そんな義弘公の銅像は、御存じ妙円寺詣りで有名な日置市伊集院町にあります。この像の別名は「薩摩の心」なにやら武者ぶるいがしてきます!ちなみに西郷隆盛や大久保利通も幼少期されていたようです。

島津義弘

新しくなった伊集院駅前にどどん!と。
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きっと関ヶ原での突撃を号令した時をイメージした銅像。管理人の中で全国一好きな銅像です(^_^)
鹿児島観光

島津義弘公のお墓

義弘公のお墓は、鹿児島市にある福昌寺跡にあります。

島津義弘 墓

福昌寺跡の場所やアクセスついては下記記事をご参照ください。

島津の退き口参考動画

 

高齢者障害者のための環境情報

伊集院駅前にあり歩道や像の前から眺める事が出来ます。車いすでの移動もしやすいと思います。

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