心岳寺跡(平松神社):妙円寺詣り、日新寺詣りと同列に置かれた島津歳久公を偲ぶ心岳寺詣り

鹿児島市吉野町にある平松神社。ここは元々、戦国時代に名を馳せた島津四兄弟の三男であり、日置島津家初代の島津歳久公が最期を迎えた場所であり、その供養のために兄の島津義久公が心岳寺というお寺を建立した場所でもあります。

アクセス

鹿児島市吉野の国道10号線沿い。姶良市との境の手前付近にあります。バスだと、いわさきバス「平松」停留所下車後、徒歩10分圏内です。

地図

島津歳久公と心岳寺詣り

島津歳久公のお墓とされる場所は複数あるのですが、そのなかのひとつ、日置市日吉の大乗寺跡には、以前伺っています。非常につたない内容ですが、歳久公の経緯をまとめておりますので宜しければご覧ください。

さて、歳久公死後、心岳寺が建立され歳久公の命日である旧暦の七月十八日には、その最後を偲び、島津義弘公を偲ぶ「妙円寺詣り」や、島津日新(忠良)公を偲ぶ「日新寺詣り」と並び、「鹿児島三大詣り」として盛大な祭典が行われるようになったようです。

それは廃仏毀釈後に当地に建立された平松神社にお詣りする形で引き継がれ、神社前を走る日豊本線には、心岳寺詣りの時期だけ営業する仮駅が作られたほどだったといいます。

 

ところが、戦後は”歳久公が戦の神”として崇められていた点や、立地の関係上でしょうか。心岳寺詣りの習慣は、日新寺詣りと同様に廃れていき、現在はその風習も途絶えてしまったのです。

現場レポート

車で国道三号線から平松神社付近へ。車が2、3台停められる路肩がありますのでそこに駐車。※この場合、鹿児島市内から姶良方面へ向かう道路からじゃないといけません。姶良から鹿児島ルートでも路肩はありますが、スピードの出ている車も多く、横断はかなり危険です。

後方からの車に注意し下車。その後、階段をのぼり線路を横断します。踏切がないのでぼんやりしていると危険です!

参道


鳥居の左右には、碑と仁王様が

車の音がなければ、とても静かで木々のこすれ合う音、小鳥の鳴き声、水の音。。時間を忘れさせる空間

境内

非常に見事な龍

社殿へお詣り

境内から見える錦江湾の様子が素晴らしいです

社殿横へ

三国名勝図会にも記述のある大崎観音

錦江湾で海難事故が起きないよう見守られているそう。。

こちらは頭部がスッパリと切られています。。

そして驚くほど瓦の残骸が多い。かなり焼けた後もあるので、廃仏毀釈時のものと思われます。

こちらはかつての参道跡でしょうか。。

下記は三国名勝図会の心岳寺ですが、位置的には右側の階段の上付近と考えられます。

島津歳久公墓所と殉死者、住職の墓

上の図だと、ちょうど左上付近になりますが、島津歳久公たちのお墓があります。歳久公と歴代住職墓の間には稲荷神社があります。島津家と稲荷神社の結びつきは強いです。

島津歳久公のお墓

明治初期から昭和初期にかけて、歳久公の首と胴体の遺骨が埋葬されていたようですが、現在は大乗寺跡に埋葬され、ご位牌は「吹上歴史民俗資料館」に保管されています。

殉死者のお墓

殉死者は27名にのぼったとのこと

歴代住職のお墓

まとめ

かつては戦の神様と崇められていたのも今や昔。今はもう一つのご利益、安産祈願の神社として有名な平松神社。

 

しかし、他の「鹿児島三大詣り」ゆかりの地である徳重神社や竹田神社に比べ、訪れる人も少なくなったようです。この地で最期を迎えた島津歳久公の子孫は、西郷隆盛の思想に影響を与えた赤山靱負や、最後まで西郷に付き従った桂久武。

そういった繋がりも楽しみながら、三つの神社を巡ってみてはいかがでしょうか

それではまた(o・・o)/~

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2017 takuya noda

鹿児島の風景パズル販売
郷土の風景をパズルで楽しむ

鹿児島の焼酎レビューサイト
鹿児島人が実際に飲んだ焼酎をご紹介!

鹿児島の風景写真サイト
写真から直感的に行きたい場所が探せる

鹿児島の風景写真集
写真クリックをすると撮影場所がわかる写真集!

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう