竹田神社(日新寺跡):幕末の偉人や鹿児島県人に大きな影響を与えたいろは歌

古くは加世田城。その後、室町時代の保泉寺。日新公の菩提寺となってからは日新寺。
明治2年廃仏毀釈により廃寺となり、明治6年、社殿が造営され竹田神社となった。

竹田神社(島津忠良公墓所)

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日新寺時代は、江戸時代の島津歴代藩主は任期中、必ずこの寺に参拝したという。

祭神は島津忠良公(日新公)

歴史好きならだれもが知り、鎌倉から明治幕末へと続く島津家の歌風を作り上げた中興の祖である。

島津忠良公(日新公)とは?

以下、Wikipediaより
忠良公は島津貴久が伊集院一宇治城から鹿児島内城に移ると天文19年(1550年)に加世田に本格的に隠居した。しかし実権は握り続けて、琉球を通じた対 明貿易や、鉄砲の大量購入、家臣団の育成に励んだ。また万之瀬川に橋を掛け、麓と呼ばれる城下町を整備、養蚕などの産業を興し多くの仁政を敷いた。忠良は その後の島津氏発展の基礎を作り出し「島津家中興の祖」と言われ大きな影響力を与える事になった。
また、忠良公は団結を歌った『いろは歌』の創作でも有名である。「いにしへの道を聞きても唱えへてもわが行いにせずばかひなし」に始まる歌であるが、この 儒教的な心構えを基礎とした忠良の教育論は、孫の四兄弟・義久、義弘、歳久、家久にまで受け継がれることとなり、その後の薩摩独特の士風と文化の基盤を築 いた。いろは歌は後の薩摩藩士の郷中教育の規範となり現代にも大きな影響を与えている。
いずれも優秀な四人の孫を「義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わり、義弘は雄武英略を以て他に傑出し、歳久は始終の利害を察するの智計並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり」と高く評し期待していた。
深く禅宗(曹洞宗)に帰依し、永禄7年(1564年)、加世田武田の地に保泉寺を再建。忠良公の死後、7世住持の梅安和尚が寺号を日新寺と改めた。日新寺 は明治2年(1869年)の廃仏毀釈により破壊され廃寺となったが、その4年後の明治6年(1873年)に同地に竹田神社として再興され、忠良公は祭神と して祀られた。
永禄11年(1568年)、77歳で加世田にて死去。

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地元の人に愛されるこの場所は、大山巌 書の日清戦争戦没記念碑が敷地内にあり、日新公墓地なども隣接する。

いろは数え唄

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また、昭和59年には竹田神社と日新公墓地の間を結ぶイヌマキ並木の道に「いろは歌四十七碑」が建てられ「いにしえの道」と名づけられ、今も郷中教育という薩摩の家風、人の道、生き方、人の上に立つ者の心得などを歌の形で伝えている。

史跡

この地には他に多くの史跡が並ぶ。内容は以下の通りだ。

常潤院跡

戦国時代の天文21年(1552)頃に建てられた日新寺の学問所。日新公や日新公夫人の墓所などがある。

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島津尚久公墓

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日新公の三男。大隅肝付氏との廻城奪回戦の後に病にかかり、1562年死去。享年32。殉死者 尾辻佐左衛門の墓もそばにある。枕崎の桜山安住寺跡にも伝として島津尚久公墓があり、こちらは分骨墓ではないかという話もあるらしいが真意は定かではない。

冨松左京の墓

加世田別府城攻めで戦死した日新公の重臣の墓

井尻神力坊(宗憲)の墓

日新公の命により22年の歳月をかけ諸国を歴訪した修行僧。1575年の帰国時、日新公の死去を知り愕然。出家の身から殉死できないことを悔やみ、ついに 大木の下に岩を置き、木に登って岩目がけて真っ逆さまに落ちて死んだといわれる。※公選として7代目鹿児島県知事である伊藤知事の先祖と言われている。

歴代住職の墓

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代々の住職の墓が並ぶ

その他、近隣には日新公ゆかりの遺構である六地蔵塔がある。
これは、日新公が1540年に立てた供養塔であり、加世田別府城の攻防をはじめ、戦国武将・武士たちを敵味方なく供養したものだという。
当時は毎年盆に領内の僧、戦没者遺族、重臣・将卒たちを集めておごそかに供養したという。
その際、日新公は塔の前に進み、戦で亡くなった者の名を声高く呼び、その勇士たちをたたえたので領民たちはこの慈愛に感激して涙を流したという話がある。
残念ながら当時の供養塔は、加世田川の洪水で流され現在の塔は1597年に日新寺の住職泰円和尚が再建したものである。

高齢者・障害者向け環境情報

竹田神社への参拝はスロープがよく整備されており車いすも問題ない。車いす用のトイレもあります。いろは坂も車いす可能ですが、各種墓所などへは舗装はないため困難かもしれません。

住所

南さつま市加世田武田17932

地図

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