【肝付町】道隆寺跡:地域の多大な努力と協力によって整備された鎌倉期建立の名刹

前回ご紹介した本城の大銀杏がある本城小学校跡の近くに、鎌倉期の寺跡がある案内を見つけたので訪ねてみました。

アクセス

場所は、本城小学校跡より橋を渡った先にあります。車を本城小学校跡に置いて歩いていける距離です。

地図

現場レポート

のんびりした雰囲気の道路を歩いて行くと右手にそれらしい場所が見えて来ました。

「道隆寺は肝付氏第四代兼員が寛元四年(1246)、肝付氏祖先の菩提所として、また仏法を弘め衆生を救うために建立し、蘭渓道隆禅師を開山としたと伝えられる。 道隆禅師は宋国西蜀の人で、字は蘭渓、勅謚は大覚禅師。禅師は三年の年月をかけて、唐木の十一面観世音を完成し、寺堂に安置した。この像は當邑五仏の内南方の一尊像と仰がれた。北条時頼はのちに、志布志臨済宗大慈寺の末寺となり、明治二年の廃仏毀釈まで法灯を守り続けてきた。寺宝としては道隆禅師の蜀江錦と阿南御前手作りの菊花の帳が伝えられた。現在は帳だけが残り、肝付町立歴史民俗資料館に展示されている。寺跡には、肝付氏ゆかりの人々の数多くの石塔や僧侶の無縫塔が遺されている。また、島津氏六代氏久と七代元久の逆修供養塔が出土している。寺跡の南側の低地は『道隆寺の大蛇』伝説が語り継がれてきた池田である。」

肝付町教育委員会

礎石と仁王像

本堂跡は水田になっていますので、奥の林の向こうに進んでみます。

門跡

石段と石垣、向こうに見える灯篭と紅葉。良い雰囲気です。

三国名勝図会

階段を上がりきると三国名勝図会の案内があります。

位置的にいうとここは左下の観音堂のあたりです。

紅葉と六地蔵塔、宝塔など

もう少し早ければ、京都の名刹にも負けない情景が広がっていたことでしょう。

残念ながら残っているものも

元々、観音堂があった場所ですので、観音様が再建されています。

島津家逆修供養塔

逆修供養とは、生前にあらかじめ自分の死後の冥福を祈る仏事です。島津奥州家だった氏久公と元久公は大隅守護でもあったため、この地との縁が深いです。

のちに奥州家が総州家を圧倒し宗家となりますが、そこで本拠は鹿児島方面に移っていきます。

 

開山した蘭渓道隆についての案内。蘭渓道隆は道隆寺の建立後、鎌倉で建長寺を開山しています。建長寺は歴史といい佇まいとい、本当にすごいお寺です。。⇒画像検索結果

 

この地に道隆寺が残っていたらと思うと震えます。。

道隆寺に伝わる民話

元は地主さんがたった一人で、墓石などを掘り起こし整備されていたそうで、それが多くの方の知ることとなり、荒れ放題だった寺跡をここまで整備されたようです。

その他、建長寺との交流なども含めて詳細は「きもつき情報局」さんに掲載されています⇒コチラ

まとめ

紅葉に間に合わなかった残念感はありますが、まず「ここまでよく整備されたなぁ」と感心します。その裏にどれだけの努力があったのでしょうか。。

 

いろんな寺跡を尋ね歩いていますが、中には整備されず、木々に埋もれた場所もたくさんあるのです。

 

なお、肝付町のHPには道隆寺跡の美しい紅葉の写真があります⇒コチラ

来年以降、新緑の季節も含めて、また訪ねたいですね(^^)/

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