【志布志市】宝満寺跡:仏師「運慶」が眠っていると伝えられる薩摩三名刹のひとつ

かつて薩摩三名刹といわれたお寺があります。

ひとつは谷山の慈眼寺

ひとつは坊津の一条院※参考記事⇒一乗院跡

 

そしてもうひとつが、今回ご紹介する志布志市の宝満寺です!

アクセス

志布志市中心部の西側。国道220号権現橋交差点から県道3号に入り川沿いを進むと右手にあります。

駐車場

14台

バリアフリー環境

詳細はコチラ

地図

宝満寺とは?

奈良時代、聖武天皇の勅願寺(国の安寧を願った天皇の祈念による寺)として、開基したといわれています。運慶作による如意輪観音像を御本尊としていたらしいですが、明治の廃仏毀釈により廃寺となり、御本尊も今に至るまで行方不明になっています。

 

現在の宝満寺観音堂は、昭和11年に再建されたものです。

現場レポート

到着すると破壊されながらもその大きさがわかる仁王像(応永八年(1401年)建立)があります。今まで各地の寺跡で見てきた仁王像よりもはるかに大きいです。残念ながらもう一体はかなり破壊されていました。。

宝満寺観音堂

昭和11年に再建された観音堂です。

安産祈願で訪れる方が多いようです。

本堂前の阿弥陀如来像には修復の跡があります。

不動明王像は状態が良かったです。

宝満寺跡の庭園と紅葉の様子

少しピークを過ぎつつありましたが紅葉も一緒に撮影することができました。

この下馬札、三国名勝図会には「禁廷より賜ふ」の文字が書かれており、宮中から贈られたものだと推測されます。

この時はお堂周辺の彩りが素晴らしかったです。

池部分の水がなく、そのかわりにイチョウの葉の池に

  

岩窟周辺の様子

岩窟前の池は三国名勝図会などに描かれている当時のままだそう。なお、安全面を配慮し岩窟への立ち入りは禁止です。

荘厳さがあります。

三国名勝図会

岩窟の位置から当時の規模がうかがい知れます。

拡大すると、この位置が現在の宝満寺跡の一帯となります。「下馬札」もみえますね。

運慶の墓

さて、今回の宝満寺跡訪問は、薩摩三名刹であった場所、そしてその紅葉を見たいと思っての訪問でした。ただ、事前調査が足りなかった。。下の写真の右手の階段部分。ここから歴代住職墓所を巡ることができます。

この階段は墓所を巡り、最終的には池のそばに降りてくるようになっています。それを知らなかった私は墓所巡りをしておりませんでした。。なんとも無念です。

 

そして、この墓所内には鎌倉時代に活躍した仏師”運慶”のお墓があるというのです!!

 

超有名な東大寺南大門の金剛力士像を造られた凄いお方。。

なんとも悔やまれてなりません。。

 

なぜここにお墓が?という点ですが、三国名勝図会によると、”宝満寺の御本尊として彫った如意輪観音像と離れたくないためにこの地に残った”というようなことが記述されています。

 

うーん。。どうなんでしょうか?

 

御本尊が運慶作ということで、そのゆかりから供養塔として建立した可能性もあります。

 

ただ、運慶に近い方々の菩提寺である京都の六波羅蜜寺にお墓や位牌もなく、全国的に伝として運慶の墓と伝えられる場所はないようなので、理由は定かではないですが、その可能性があるというのはロマンがありますね。

 

しかし、運慶のお墓が志布志にあるとは。。。歴史的に裏付けされる資料や、記述があまりないからかもしれないですが、もっと推してほしいです。(頴娃の真田幸村のお墓の例もありますし(;^ω^))

 

宝満寺跡を訪ねる際は、是非とも墓参をお願いいたします!

まとめ

鹿児島市内在住の私にとって、志布志はそこそこの遠征になるわけですが、今一度時間を作り、詣らせていただこうと考えております。

 

史跡を訪ねる際は、やはり事前勉強、事前調査が大事です。。歴史を知れば知るほど訪ねた時の重みや感動も深くなりますしね。

 

最後は運慶のお墓の話が大きくなりましたが、歴史のあるお寺の遺構。是非とも訪ねてみてください!(^^)/

それではまた(o・・o)/~

 

 

 

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