南大隅町根占の海岸線へ。ここの海沿いには薩英戦争時の砲台跡が今も残ります。 薩英戦争時、錦江湾沿岸には数十の台場が設置され、鹿児島市街地には、新波止場、天保山、祇園之洲。桜島には、袴腰、烏島の砲台跡が残っています。ただ、ご存知の通りいずれも原型をとどめてはいません。 これに関しては、もう6,7年も前になりますが、記事に...
明治維新150周年 幕末明治の歴史を巡るの記事一覧
歴史や文化というものは、なにも史跡に限ったものではなく、生活に密着した生活文化というものがあります。 その土地にどんな人たちが住み、どんな仕事をして、どんな食生活をおくり、一生を過ごしていたのか。。時代の変化で現代では薄らいでいるものもありますが、各地域にはさまざまな生活文化が残っているものです。 今回はそういった視点...
某日。鹿児島市小山田付近をたまたま通ったら、なんか看板がある。。 明治維新苔画ロード??(;^ω^) 想像がつかぬ。。なんだ?それは(笑) こういう時は"百聞は一見に如かず"という言葉がすぐによぎる。。 て、ことで古園公民館方面へ車を進めます(^^)/ すると・・ !!! なんですか?苔に文字が。。...
さて前編に続き、青山霊園に眠る薩摩の偉人たち後編です(^^)/ 青山霊園 薩摩の偉人のお墓参り 後編 青山霊園北東部 大久保利通墓所 内務卿。維新三傑。 場所 到着後、真っ先に向かったお墓です。かなりわかりやすいと思います。 1種イ2号15/17側 関連記事 https://kagoshimayokamon.com/2...
H28年11月27日。甲突川左岸緑地に70年ぶりに「ある銅像」が建立されました。 なぜ、70年ぶりかというと、この地にかつてあった像は戦時中、軍事資材確保のため、撤去されてしまったのです。それが有志の声や活動により復活したのがH28年11月27日。その銅像こそ乃木希典将軍婦人であった「乃木静子」の像なのです 乃木希典...
奈良原繁 その名を聞いたことがあるなら、歴史について興味がある方なのかもしれない。 奈良原繁とは? 薩摩藩出身で通称喜八郎。高麗町で出生というのが有力とされています。 父 助左衛門はお由羅騒動で謹慎処分を受けますが、その後、兄 喜左衛門と共に島津久光公に仕え、生麦事件では英国人リチャードソンを切りつけた人物として知られ...
先月、上京の折、隙間時間でお参りしてきた青山霊園の取材(墓参)レポート。 ようやくですがアップいたします! なお、紹介数が多かったため前編、後編と二回に分けてご紹介します! 青山霊園って? 港区青山というおしゃれな街にありながら、日本で初めての公営墓地であり、多くの偉人や有名人が眠る場所です。非常に広い墓地で約7万9...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.12~ 先日、東京出張の折、青山霊園にある松方正義のお墓に墓参する事が出来ました。そこで今回は、鹿児島市にある松方正義像や生誕の地と共にに松方正義という偉人について御紹介したいと思います。 松方正義とは? 写真を少しカラー化して、現実感を出してみます。 誕生 天保6年(1835年)に...
先日、東京に出張に行った折、以前よりお参りしたいと思っていた薩摩の偉人たちのお墓へ行ってまいりました。 そこで今回は、東京都台東区上野にある国立博物館初代館長となった町田久成のお墓や、彼の祖先が眠る鹿児島市石谷町(旧松元町)の町田家のお墓をご紹介したいと思います。 町田久成とは? 町田久成は、天保9年(1838年)薩摩...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.11~ 今回は、斉彬公の活躍や西郷隆盛との対立から、物語の中ではスポットの当たり方があまりよろしくない、島津久光公の銅像にお伺いしました。 島津久光公とは 誕生 1817年10月24日 第10代薩摩藩藩主 島津斉興公の5男として生誕。母はお由羅の方であり、斉興公の寵愛を受けた側室です...
鹿児島観光といえば?と問われるとその名が必ず出てくる仙巌園。2015年には、世界文化遺産「明治日本の産業遺産」として、旧集成館(反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館を含む)が、関吉の疎水溝、寺山炭窯跡と共に登録。さらにさらに2017年大河ドラマ「西郷どん」と益々注目を集める場所になっています。 じつは以前に...
鹿児島市吉野町実方。西郷隆盛を最後まで支えた二人の生誕地がある場所です。 その二人とは、桐野利秋と別府晋介。二人は従兄弟であり、幕末の動乱の活躍を経て、明治政府ではそれぞれ陸軍少将、陸軍少佐の任に当たるほどの人物達でした。 ※別府晋介(左)と桐野利秋(右) 桐野利秋とは 維新前は中村半次郎を名乗り、我流さらには野太刀自...
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