奈良原繁

その名を聞いたことがあるなら、歴史について興味がある方なのかもしれない。

奈良原繁とは?

薩摩藩出身で通称喜八郎。高麗町で出生というのが有力とされています。

父 助左衛門はお由羅騒動で謹慎処分を受けますが、その後、兄 喜左衛門と共に島津久光公に仕え、生麦事件では英国人リチャードソンを切りつけた人物として知られています。(喜左衛門説もあり)

 

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また、寺田屋事件では有馬新七らと壮絶な切り合いをした人物として、取り上げられることも多いです。

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明治期に入ると、島津本家や玉里家の家令を経て、内務権大書記官、農商務権大書記官、静岡県令、日本鉄道社長、貴族院勅選議員と歴任。

のちの沖縄知事時代は、15年以上の長期在任となりましたが、琉球時代からの名残である人頭税(収入に関係なく一定の税金を徴収する)などの政策を強権的に行ったとして、芳しくない評価もあるようです。

ただ、知事着任当時、沖縄の小学校就学率はわずか18%弱だったのが、離任時には93%まで上昇させたり、沖縄県民が知事時代の功績を称え、那覇市奥武山公園中央に奈良原の像を建立したことからも、良くも悪くも政策面での成果は出していたと言えます。※なおこの銅像は戦時中の金属類回収令により台座を残し、なくなってしまいました。。

その他、大久保利通との親交は深かったようで、紀尾井坂の大久保利通が落命した地に哀悼碑を建立。

また、息子の奈良原三次は、日本初の国産複葉機を設計し、日本で初めて国産機飛行を成功させた人物です。

奈良原繁のお墓

さて、そんな奈良原繁のお墓の場所ですが、明治期に活躍した人物とは思えないほど、お墓の情報がなく難渋いたしました。。そして、ようやく見つけた場所が鹿児島市郡元にある「露重墓地」でした。

ただ、露重墓地にあるとはわかってもその明確な場所がわかりません。。

暑い中、右往左往し近くにある「郡元墓地」の管理室にダメ元でお邪魔し聞いてみると、「露重の方の登録簿もあるが名前が(苗字も)ないとのこと」

 

おいおいまじかーーー( ;∀;)

 

愕然としながらも近くにあったうなぎ屋さんでエネルギーを回復させ、根気よく探そうと決意!

すると…

 

あっさりみつかる( ;∀;)

 

ルートとしては涙橋側の入口ではなく、その先の川沿いのあるこの階段を上ります。

上って道なりに進み、真ん中ぐらいで右手を見ると。。

いらっしゃいました。。探してから結構かかったので、ようやくといった感じです。。

刻まれる従二位の文字。。なぜに情報が少ない。。(´・ω・`)

松方正義の名が!!

後方には、兄喜左衛門夫婦のお墓や

先祖のお墓に加え、早世した長男竹熊のお墓もあります。

観光まとめ

明治期薩摩に関する歴史小説やドラマには必ず登場する幕末の志士でもあった奈良原繁。その名は、歴史好き以外にはピンとはこないかもしれないですが、時代を築いた一端を担った人物。

案内など何もないからこそ、知ってほしい。そして墓参してほしいところであります。

場所

それではまた(o・・o)/~

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