町田久成と町田家の墓:領主の家に生まれ武士、政界、僧正と多様な生き方をした国立博物館初代館長

先日、東京に出張に行った折、以前よりお参りしたいと思っていた薩摩の偉人たちのお墓へ行ってまいりました。

そこで今回は、東京都台東区上野にある国立博物館初代館長となった町田久成のお墓や、彼の祖先が眠る鹿児島市石谷町(旧松元町)の町田家のお墓をご紹介したいと思います。

町田久成とは?

町田久成は、天保9年(1838年)薩摩国日置郡石谷領主(鹿児島市石谷町)町田久長の長男として鹿児島城下に生まれます。安政3年(1856年)19歳で江戸の幕府直轄の教育機関「昌平坂学問所」で学び、ここで有馬新七と出会うのです。この縁で有馬新七はのちに町田家の領地である石谷の統治を要請されます。

薩英戦争

1859年に鹿児島に帰郷。1963年には薩英戦争で本陣警護隊長を任されます。この際、部下に東郷平八郎がいたというから驚きです。

薩摩藩英国留学生

1864年の禁門の変を経て慶応元年(1865年)。五代友厚、寺島宗則、新納中三の3人からなる外交使節団と共に森有礼らと薩摩藩英国留学生として、現・いちき串木野市羽島より密出国。

パリ万国博覧会

1867年にはパリ万国博覧会にも薩摩藩として参加。帰国後は明治政府のもとで参与職外国事務掛、参与職外国官判事、長崎裁判所判事、九州鎮撫使参謀、外国事務局判事、外国官判事、外務大丞などを歴任。

博物館創設計画

1870年、物産局が設けられたばかりの大学南校に勤めましたが、この時、幕府使節として参加していた田中芳男と再会。のちに2人はその後十余年、「日本初の博物館創設計画」を共に目指し、東京国立博物館、国立科学博物館、東京都恩賜上野動物園の3館の基礎を作ったことが、高く評価されます。

この際、久成は、文化財の保護、複製や模写を意見し、のちに正倉院をはじめとする社寺の宝物調査も自ら実施。私財を投じ、古書や古美術品を買い求め、文化財の流出を防ぐ一方、文化財の調査や保護を提唱しました。

国立博物館初代館長

1882年3月に東京帝室博物館(後の東京国立博物館)初代館長に就任。7カ月で退いた後、1885年には元老院議官となり4年後に元老院議官を辞職。1890年には、滋賀県にある三井寺光浄院の住職になり、仏教文化の保護に努めます。

死去

1896年に上京。寛永寺の子院にあたる明王院(現在廃絶)で病気療養していましたが、1897年9月15日に60年の生涯を終えるのです。

町田久成のお墓

町田久成のお墓は、滋賀県大津市の三井寺塔頭法明院にもありますが、今回は、生涯を終えた上野寛永寺山内子院の津梁院にあるお墓の方にお邪魔しました。

お寺がしっかり管理されているので、墓地に無断で足を踏み入れることはできません。。

なので、津梁院さんに電話連絡し、墓参が可能か?と、アポどりをさせていただきましたところ、快く案内していただきました。※ちなみに津梁院は、津軽藩の江戸における菩提寺でもあり、立派な墓石が並んでいます。

さてさて話を戻し、町田久成の墓へ参ります。

墓石は、円柱上に丸い笠が載る笠付塔婆形という形だそうです。下部は自然石であり、高さ約1.8m。明治31年9月に建てられたものだそうです。

実は管理人、旧松元町で育った時間が長かった為、町田久成には特別な想いがありました。※全く無関係ですが、大久保卿にも同じような想いがあるのですが。。

「鹿児島から参りました。。ようやく墓参できました」

そんな自己満足感を乗せて深く頭を下げてきました。。

アクセス情報

  • 住所:東京都台東区上野桜木1丁目14−29
  • TEL:03-3821-6887

地図

町田家の墓

東京から戻ったその足で向かったのは、鹿児島市石谷町にある町田家の墓。

そう、町田久成の父母や祖先が眠られている墓所です。

永福寺というお寺の先にあります。入口には、廃仏毀釈で破壊された仁王像が。。いつ見ても薩摩の悲しい歴史ですね。

先の茶畑の向うに墓石群が

綺麗にされています。

永福寺さんに確認したところ、現在は鹿児島市の管轄になっているようですが、地元の方々が清掃などをしているとのこと。

町田家は元々、島津家の血筋であり、新納家、樺山家と共に島津三大権門(島津家で権威がある家)と呼ばれた家格の家です。墓石には一定の年代より、島津家の家紋が刻まれていますが、町田十文字という家紋も存在します。

奥には、町田家の菩提寺であった永福寺歴代住職のお墓もありますが、町田家の最も古い墓石は、1537年伏野原の戦いの戦いで亡くなった15代石谷梅久の墓になります。

正面右手に天文5年(1537年)の文字が刻まれています。

石谷伊賀守梅久と刻まれています。

町田久成の両親のお墓

父 町田久長(右)と母 国子(左)のお墓

アクセス情報

  • 住所:

地図

まとめ

日本における文化財保存の基礎を築いた人物であり多様な生き方をした町田久成。町田家が統治した鹿児島市石谷地区には、現在、鹿児島の多くの偉人像を作った中村晋也氏の美術館があり、なおかつ、2016年11月14日には、東京国立博物館に中村晋也氏作の町田久成像が建立されましたということも素晴らしい縁を感じます。

 

それではまた(o・・o)/~

 

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