毎年恒例のイベントになりつつあるJR伊集院駅前の竹灯籠ライトアップを見に行ってきました(*^-^*) 注意 ※スマートニュースからの購読だと写真がほとんど表示されない場合があります。その際は記事の一番下に表示される「オリジナルサイトを読む」をクリックしてくださいm(__)m JR伊集院駅前の場所は? 車なら駅舎向かって...
鹿児島の銅像の記事一覧
各地の特攻基地跡を訪ねてますが、その中でも知覧の特攻平和会館は何回も訪れている場所です。 恐らくこの記事を読まれている方も、大多数が行かれたことがあるのではないでしょうか? 正直、どの季節に行こうと全く関係なく、感じ入るものがある場所ですが、私としてはどうしてもこの季節に行っておかねば!!と、思っていた季節(時期)があ...
歴史や道徳の授業で学んだ宝暦治水事件 遠く、縁もゆかりもなかった土地の大河川(木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)) 幕府管理下の過酷な環境で、多くの犠牲を出したこの事件の現場とゆかりの地を、先日訪ねてきました。 それに関連し、今回は鹿児島にある平田靱負&薩摩義士ゆかりの地をご案内します。 宝暦治水事件とは? 宝暦治水...
H28年11月27日。甲突川左岸緑地に70年ぶりに「ある銅像」が建立されました。 なぜ、70年ぶりかというと、この地にかつてあった像は戦時中、軍事資材確保のため、撤去されてしまったのです。それが有志の声や活動により復活したのがH28年11月27日。その銅像こそ乃木希典将軍婦人であった「乃木静子」の像なのです 乃木希典...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.12~ 先日、東京出張の折、青山霊園にある松方正義のお墓に墓参する事が出来ました。そこで今回は、鹿児島市にある松方正義像や生誕の地と共にに松方正義という偉人について御紹介したいと思います。 松方正義とは? 写真を少しカラー化して、現実感を出してみます。 誕生 天保6年(1835年)に...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.11~ 今回は、斉彬公の活躍や西郷隆盛との対立から、物語の中ではスポットの当たり方があまりよろしくない、島津久光公の銅像にお伺いしました。 島津久光公とは 誕生 1817年10月24日 第10代薩摩藩藩主 島津斉興公の5男として生誕。母はお由羅の方であり、斉興公の寵愛を受けた側室です...
明治維新。その偉業や成し遂げた人々の活躍が注目される出来事ですが、物事を成すには必ず伏線があります。歴史をさかのぼれば、全国各地、多くの伏線がつながり成し遂げられたことですが、今回は薩摩の伏線のひとつ調所広郷の活躍について取り上げてみたいと思います。 調所広郷の歴史 調所広郷は、安永5(1776)年3月に川崎主右衛門基...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.9~ 伊集院駅前に勇壮な島津義弘公の像。駅前という好立地の為、見た事がある方は多いと思いますのが、より深く知って頂けたらありがたいと思います。 義弘公の歴史 戦国期におけるその活躍は戦国好きや歴史好きの間では圧倒的な支持を得ています。まずはそんな義弘公の歴史をご紹介します。 1535...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.8~ 明治維新は鹿児島が誇る偉人たち、また、長州をはじめとする他の志士たちとの協力により成し遂げられたものだ。 ただ、考えてほしい。 事を起こすには金銭が必要になるものではないだろうか。 薩摩藩において、宝暦治水などから続く莫大な借金を帳消しにした功労者は、家老「調所広郷」による功績...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.7~ 幕末薩摩藩の家老。正式な名は小松清廉(きよかど)、通称として小松帯刀尚五郎と呼ばれる。 小松帯刀の歴史 1835年12月3日、喜入領主肝付兼善の3男として生まれた。 15歳頃から勉学に励んだが、17歳頃から病気がちだったという。 しかし、勤勉な小松帯刀は、徐々に大久保利通など若...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.6~ 大久保利通と共に鹿児島出身でありながら、鹿児島県民に圧倒的に嫌われている偉人といえば「川路利良」である。 川路利良の歴史 川路利良は、現在の鹿児島市皆与志町に生まれた。 禁門の変にて、長州軍を相手に奮戦。その後も戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦い、会津戦争などで戦果をあげる。 明治政府...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.5~ 概要 2003年フジテレビ系「大奥」 2008年NHK大河ドラマ「篤姫」 これにより世間から一斉に注目を集めた「天璋院篤姫」 今和泉島津家という外様大名島津家の分家の出ながら、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所になった人物。 ただ嫁いだだというけでなく、徳川家や江戸を戦乱から救...
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