以前に頴娃の”青戸飛行場”をご紹介しました。
青戸飛行場は空爆の影響でほぼ使われず、本当の意味で”幻の飛行場”となったわけですが、加世田には実際に特攻基地として200名近くの隊員が出撃したにも関わらず、知覧の知名度に押され全国的にあまり知られていない特攻基地がありました。それが南さつま市加世田の”万世基地”です。
今回は、その万世基地から飛び立たれた方々の遺影やお手紙などの遺品、吹上浜から引き揚げられた水上偵察機などが展示されている万世特攻平和祈念館にお邪魔致しました。
万世特攻平和祈念館へのアクセス
南さつま市加世田の西側吹上浜海浜公園近くにあります。
- 鹿児島空港から九州自動車道、指宿スカイライン、県道鹿児島加世田線経由で約70分
- 鹿児島市街地より車で約50分、南さつま市街地より西へ車で約5キロ
バスでのアクセス
- 天文館&鹿児島中央駅→加世田バス停→海浜温泉前 (約10分)
住所
南さつま市加世田高橋1955番地3
電話番号
0993-52-3979
営業時間
9:00~17:00(入館は16:30まで)
定休日
12月31日、1月1日
料金
- 大人(高校生以上)300円 団体割引(20人以上)250円
- 子供(小・中学生)200円団体割引(20人以上)150円
- 障害者手帳呈示による割引あり
駐車場
50台
地図
※ブログ空港探索・とり様「空港探索・2:万世陸軍飛行場跡地」の記事より引用させていただきました。→https://airfield-search2.blog.ss-blog.jp/bansei-airfield
地図の内容は上記引用元により編集されることもありますので、詳細は上記ブログ様にてご確認ください。
万世特攻平和祈念館レポート
到着すると少し変わったデザインの建物があります。これが万世特攻平和祈念館です。
なんでも建物のデザインは、練習機「赤とんぼ」の複葉型を模しており、大屋根に平和を祈る合掌をシンボル化した「複葉合掌型」としたそうです。
万世特攻慰霊碑「よろずよに」
慰霊碑は今より30年も前,特攻隊の慰霊顕彰を目的に建立され,旧町名「万世」をも意味する「よろずよに」と刻銘されています―
万世平和祈念館パンフレットより
特攻直前で終戦を迎えた苗村七郎さんの努力は、戦後、機密処理のために徹底的に破壊された万世基地の存在やそこから飛び立った方々の最後を伝えるのに重要な起点となりました。
館内の様子
入館すると一階は撮影OKということでしたので、いくつか写真を撮らせていただきました。
最初に目につくのが吹上浜で引き揚げられた水上偵察機ですね。完全な修繕はせず、あくまで元の状態を保ちながら、経年を感じさせる戦争遺構という感じです。
当然ですが水上機なので万世から飛び立ったものではありません。ただ、当時の映像も残っておりますので同じ時代に使われたものとして感じ入るものがあります。
茨城で発見されたエンジンなども展示されています。
この後は2階に行きましたが、知覧同様、万世から飛び立たれた隊員の遺影や遺品などが展示されています。
子犬を抱いた特攻隊員の写真
そして、万世基地からの特攻に関する一番有名な資料と言えばこちらのお写真です。
写真後列より左から
- 高橋要伍長(享年18歳) 高橋峰好伍長(享年17歳)
写真前列左から
- 早川勉伍長(享年18歳) 荒木幸雄伍長(享年17歳) 千田孝正伍長(享年18歳)
この撮影の翌日、万世飛行場から出撃しました。。言葉での表現がなんとも苦しくなる写真です。。
私なりに当時の様子を再現しようとカラー化してみました。
裏門跡
万世特攻平和祈念館から県立薩南病院方面に行くと、かつての万世基地裏門跡がそのまま残されています。
マムシとヤマカガシがいました(^^;)季節によっては気を付けて頂きたいです。。
この破壊のあとは空襲によるものなのでしょうか?
松林でコンクリートに穴が開いたような跡がありました。これも当時のものなのでしょうか。。
鹿児島県にあった飛行基地
鹿児島県にあった飛行基地一覧です。実際に訪ねて紹介記事を書いた場所は、該当記事にリンクしています。
陸軍飛行基地
海軍飛行基地
水上機
まとめ
歴史というのは、当時の人しか見ていない知られざる物語がたくさんあるものです。
ここで子犬と共に撮影された隊員たちと同じように、現在に伝えるものは何も残っていないそれぞれの物語が各地であったと思います。
厳しい検閲により、勇ましく書かれた隊員の方々の手紙や遺書の裏にあるものを感じていきたい。
戦争の体験者が少なくなっていく中で、鹿児島に残る戦争の痕跡や悲しみを訪ねる旅は今後も続きます。。