前回、串良の海軍航空基地跡を訪ねましたが、その前後に鹿屋や垂水などに残る海軍航空基地跡を訪ねましたのでまとめてみました。

鹿屋海軍航空基地跡

まずは鹿屋海軍航空基地跡を訪ねました。ここは現在、海上自衛隊鹿屋航空基地があり、鹿屋海軍航空基地時代やそれ以前の海軍ゆかりの品々、さらに現在活躍する海上自衛隊の活動や功績がまとめられた資料館があります。

また、基地の南部には飛行機を収納した掩体壕跡、北東には戦没者慰霊等のある小塚公園、西には国民学校跡などもあります。

敷地には実際に活躍した自衛隊機が並んでいます

内部は一部撮影可能です。改修された二機を使い、修復再現されたゼロ戦の姿は圧巻ですね。

二階は遺影や遺品が展示されていますが、菊水一号作戦天山部隊として沖縄戦で亡くなった我が大伯父の姿もありました。

防衛省の管理下であり、旧海軍の誇りを感じさせる展示物もあります。また、最も多く特攻機が飛び立った基地でもあったので、展示品の数は知覧にも負けていないと思います。

※ちなみに二代目水戸黄門の俳優 西村晃さんなども串良や鹿屋の海軍基地に所属したことがあり出撃したもののエンジントラブルにより命拾いしているとのこと

一階は海上自衛隊関連の様々な展示物があります

クセス

比較的鹿屋市の中心部といっても良い位置にあり、バスなどの便もよいです。

住所

  • 鹿児島県鹿屋市西原3丁目11-2

電話番号

  • 0994-42-0233

営業日

  • 通年

営業時間

  • 9:00~17:00(入館は16:30まで)

定休日

  • 12月29日~1月3日

料金

  • 無料

公共交通機関

  • 空港から空港バスで鹿屋バスセンターまで約100分。鹿屋バスセンターから航空隊前まで約10分。下車後徒歩で約3分ほど

駐車場

  • 一般車約30台
  • 大型車約10台

地図

笠之原海軍航空基地跡

戦況の悪化により急造された笠之原海軍航空基地。昭和20年3月の空襲でほぼ基地機能は消失したようです。

現在は地下道入口跡が残るのみ

入口は完全にふさがれています。この下の地下道は今も残っているのでしょうか。。

わかりづらいですが、ところどころ欠けています。機銃掃射のあとでしょうかね??

民間に払い下げられたため、ほとんど畑になっていますが、ここは芝にしてくれているので、なんとなく飛行場だった雰囲気を感じさせてくれます。

川東掩体壕

地下道入口跡からさらに南側に掩体壕があります。

畑のど真ん中にありますが、案内板や駐車場も数台分整備されております。

 」

下の写真は鹿屋の掩体壕の一部だそうで。。

 

地図

以下、昭和22年に撮影された国土地理院の空中写真

牛根海軍航空基地跡

続けて訪ねたのは垂水市牛根にある牛根海軍航空基地跡。

指宿にあった航空基地が激しい空爆を受けていたため、本土決戦に備えて昭和20年に基地化されました。

この地、鹿児島県垂水市牛根は雄大な桜島の麓に位置し錦江湾内でも唯一波静かな美しい処である。一九四五年(昭和二十年)第二次世界大戦末期福岡県船越村に第六三四海軍航空隊本部(秘匿玄海基地)が訓練基地として設置され、ここ垂水市牛根にも秘匿桜島(牛根)基地が前進攻撃基地として開設された。この桜島(牛根)基地には、比島戦から多大の戦果を挙げていた水上爆撃機瑞雲二十機と零式水上偵察機を零式水上雷撃機に改修した雷撃機十機、哨戒偵察機六機を配し、海軍航空史上初の玄海・桜島(牛根)両隊で百三十機を越える水上機による攻撃大部隊として本土決戦に備えていたが、八月十五日には大戦終決となった。茲にこの地の歴史を後世に伝えるとともに今日の日本の尊い礎となった若者達の鎮魂と平和を祈念しこの碑を建立する。 平成十七年八月吉日 記念碑建立賛同者一同 海軍関係者一同

海軍航空隊桜島(牛根)基地跡の碑

なお、現在は”道の駅たるみず”がある場所で、多くの人で賑わっています。ただ、この付近はあまり人がいません。。もったいないです。実はここはもう一つ、今日の日本にとって重要な場所でもあるのです。

日の丸発祥の地

それが日の丸発祥の地であること。

幕末、西欧列強が東アジアに進出してきた時代に、島津家28代 当主 島津斉彬は「海から来る敵は海で防ぐべき」と考え、桜島の瀬戸・有村・垂水の牛根に造船所を設け、洋式軍艦の建造に取くまれました。また、嘉永6年(1853)、ペリー艦隊が浦賀に来航し、幕府が海防の必要性に気づくと、幕府に大船建造の解禁と、軍艦15艘の建造を願い出られました。
そして瀬戸で昇平丸、有村で大元丸・承天丸、牛根で鳳瑞丸・万年丸が建造されました。
軍艦建造は五艘で終わりましたが、大隈半島と桜島の間の海峡のこの地は、日本における近代造船発祥の地となりました。
また、島津斉彬公は、昇平丸の建造中、大船建造の解禁を願い出られた際、日本の船と外国の船を区別する為、白地に赤い「日の丸」を掲げるように幕府に提案されています。これを受けて、翌 安政元年(1854)7月11日、幕府は「日の丸」を日本の総船印と定め、安政2年(1855)春、幕府に献上するために鹿児島を出航した昇平丸に、日本総船印としての「日の丸」が掲げられ、万延元年(1860)には国旗へ昇格したのです。
大隈半島と桜島の間の海峡は、〝国旗「日の丸」のふるさと〟でもあるのです。

国旗日の丸のふるさと 碑文

ここから日の丸が掲げられ今日まで国旗として続いているのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?実はもう少し関連遺構があったりするのですが、時間の都合で一部の紹介になってしまいました。

詳しくは鹿屋市が発行している以下のパンフレットが役立ちますので是非とも鹿屋をお訪ねの際は、手に取ってみてください!

※帰りの桜島フェリーより

それではまた(o・・o)/~

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