湧水町の魅力を発見(再発見)する旅?を続けています。 ここまで以下の場所に行きましたが、皆さんが実際に訪ねたことがある場所はございますでしょうか? さてさて、今回これに加わるのが、 熊野神社と内小野寺跡 どういった場所なのでしょうか?早速いってみましょう!(^^)/ この記事を要約すると ・島津義弘公ゆかりの寺跡、内小...
島津義弘の記事一覧
「明くれど閉ざす雲暗く~薄(すすき)かるかやそよがせて~」 鹿児島三大行事のひとつ妙円寺詣り。管理人も小学生の折、上記の歌を歌いながら徳重神社を目指して歩いた経験があります。 しかし当時、小学生ながら疑問に感じていたのです。 「”妙円寺詣り”なのに、なんで徳重神社なの??」 そこのところの事情も含め、まずは妙円寺詣...
栗野方面に突発的な用事があり遠征(^_^)ノープランだったので用事を済ませた後に、現地で「なんかないかなー」と探すのは久しぶりで、ちょっとわくわくしてました。これが、再発見!というテーマの楽しみ方。 で、訪ねたのは、湧水町の運動公園となっている「松尾城跡」 松尾城とは 松尾城。またの名を栗野城とも言います。元々は、肝付...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.9~ 伊集院駅前に勇壮な島津義弘公の像。駅前という好立地の為、見た事がある方は多いと思いますのが、より深く知って頂けたらありがたいと思います。 義弘公の歴史 戦国期におけるその活躍は戦国好きや歴史好きの間では圧倒的な支持を得ています。まずはそんな義弘公の歴史をご紹介します。 1535...
【姶良市 岩剱神社】※高齢者・介護者向け情報あり 「岩剱」とは、鹿児島県姶良郡姶良町平松にあった「山城」だ。 戦国期、島津勢の進行の際、この岩剱城はなかなか落城せず島津勢を大いに手こずらせたという。 その際、「これは麓の岩剱神社の加護があるからだ」として、岩剱神社の御神体を白銀坂にある島津氏の本陣に勧請して「戦いに勝...
鹿児島玉龍高校の裏手に島津本家の殿様たちが眠る墓所があります。今回はそちらに行った時のレポートです。 福昌寺は、応永元年(1394年)島津氏第7代当主島津元久公が妙円寺を建てた石屋真梁を招き建立したといわれています。それ以後、島津氏当主の墓が建てられるようになり島津本家の菩提寺となりました。 江戸時代後期に薩摩藩によっ...
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