史跡 【日置市日吉町】桂山寺跡(島津忠隣公墓所):日置島津家の系譜は赤山靭負を生み、その意志は西郷隆盛へ 日置市日吉町日置。県道37号線から城の下地区から日新小方面へ曲がった道の先に桂山寺跡がある。 桂山寺の開基は不明だが、日置島津家三代目当主常久公が父忠隣公の菩提寺として一岳等忍和尚が寺を再興させたといわれている。 ※関連:日置島津家初代 島津歳久公墓所(大乗寺跡) https://kagoshimayokamon.co... 2016年9月21日
史跡 指宿温泉 殿様湯:飲んでも美味しい 今に残る島津家御用達だった名湯 @指宿 指宿市二月田にある殿様湯。 この名称から殿様に由来することが分かる。。 殿様湯の歴史 その始まりは、第10代薩摩藩主島津斉興公により、それまで弥次ヶ湯にあった温泉行館(別荘)を天保2(1831)年指宿の二月田に移した事が始まりになる。 当時の浴場は山川石と呼ばれた凝灰岩で造られており(山川石は一部歴代藩主の墓石にも使用... 2016年8月31日
史跡 南洲墓地:南洲翁西郷隆盛らが眠る鹿児島県民の聖地 明治10(1877)年9月24日 西郷隆盛以下薩軍は全滅。これにより西南戦争が終結。 ※関連記事 南洲翁西郷隆盛終焉の地:明治維新150周年を前に訪ねてみた – 鹿児島よかもん再発見! まずは歴史を振り返る。。 西南戦争のあと 西南戦争終結後、時の鹿児島県令(知事)大山綱良は、西郷らに加担した罪を問われ処刑。 これによ... 2016年8月24日
史跡 旧島津氏玉里邸庭園:知らない人が多い?市内中心部にある国指定の名勝 島津家の庭園と言えば仙巌園。 県内外問わず知名度が高いわけですが、市内中心部にも島津家の庭園があるのをご存知でしょうか?? それが「旧島津氏玉里邸庭園」です。 この記事を要約すると ・晩年の島津久光公の邸宅 ・太平洋戦争で建物のほとんどは消失 ・茶室・黒門・長屋門は現存 ・四季折々の庭園の美しさを堪能できる(無料) 旧... 2016年8月19日
史跡 南洲翁西郷隆盛終焉の地:明治維新150周年を前に訪ねてみた 平成30年は、明治維新から150周年。 明治維新功労者の代表格である西郷隆盛と大久保利通。 功績と相反し、二人ともその最後は共に壮絶だった。 今回は、地元鹿児島だからこそ、振り返りたい南洲翁西郷隆盛の最後と終焉の地を巡ったのでご紹介します。 ここを訪れる前に知っておきたいのはやはり西南戦争の始まりからの経緯です。 西南... 2016年8月16日
史跡 島津義久鹿児島の城跡 富隈城跡:国分発展のきっかけになった島津義久公の隠居 @隼人 霧島市隼人町住吉の浜之市地区 ここには豊臣秀吉の九州征伐後、事実上の隠居に追い込まれた島津義久公が築いた富隈城の跡が残る。 南北250m、東西150m、高さ30m余り 平地の丘の上に屋敷がのっている形で、城の西・東・北側に堀があったといわれているが、戦国期特有の守るための城というよりも、防御面を重視しない屋敷のような城... 2016年8月12日
史跡 島津義久 【日置市伊集院町】千秋山雪窓院跡:島津義久公剃髪石と共に 小さい頃に伊集院に住んでおり、家の近くのトンネルそばにあった石像にいつも疑問を持っていた。 「なんだろうこれ??」 当時、父にはトンネルを掘ろうとしたら出てきたもんだ。と、言われていたのだが、のちにそれが仁王像だったと知る。。 場所は日置市伊集院町。銀天街を通り抜けた先、妙園寺団地へと続くトンネルの前。ここには、千秋山... 2016年8月11日
南さつま市観光 島津義久 【南さつま市】一乗院跡:島津家との関係も深く坊津の地名の由来となった薩摩三名刹のひとつ 前から紹介しようしようと思っていながら、紹介していなかった場所。 そして、行くとなにやら落ち着ける地区「坊津」 今回は、その「坊津」の地名の由来となったお寺「一乗院」についてのご紹介です(^^)/ 一乗院の歴史 寺伝によると、創建年は538年。百済の僧・日羅によって建立されたといいます。その際、日羅上人は自ら仏像三体を... 2016年7月30日
史跡 【指宿市】濱崎太平次像:指宿が生んだ幻の豪商と明治維新 シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.8~ 明治維新は鹿児島が誇る偉人たち、また、長州をはじめとする他の志士たちとの協力により成し遂げられたものだ。 ただ、考えてほしい。 事を起こすには金銭が必要になるものではないだろうか。 薩摩藩において、宝暦治水などから続く莫大な借金を帳消しにした功労者は、家老「調所広郷」による功績... 2016年7月16日
史跡 私学校跡:西南戦争のきっかけのひとつ。生々しい弾痕が今も残る 鹿児島市に残る、間接的には西南戦争のきっかけになった場所。 歴史 明治6年(1873)いわいる征韓論を政府側は棄却。その為、西郷隆盛は政府の職を辞して鹿児島に戻る。 これに追従する形で、桐野利秋や篠原国幹など、薩摩出身の関係者も多数が鹿児島に帰ってくる。 一方、鹿児島では、急激な変化を押しつける新政府に対し、多くの士族... 2016年6月21日
史跡 小松帯刀像:薩摩の名宰相を訪ねて シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.7~ 幕末薩摩藩の家老。正式な名は小松清廉(きよかど)、通称として小松帯刀尚五郎と呼ばれる。 小松帯刀の歴史 1835年12月3日、喜入領主肝付兼善の3男として生まれた。 15歳頃から勉学に励んだが、17歳頃から病気がちだったという。 しかし、勤勉な小松帯刀は、徐々に大久保利通など若... 2016年6月19日
史跡 霧島市立国分郷土館:国分の歴史民俗資料だけでなく西郷隆盛の書なども展示 福山で島津忠将公の供養塔を発見後、島津忠将公の墓所を調べに国分を訪ねた。 参考記事:島津忠将公供養塔(七寶塔):義弘公に繋いだ次男猛将伝説。元祖はこの武将 これに関しては、調べていくと残念ながら、忠将公のお墓は太平洋戦争時、米軍の爆撃で破壊されてしまったとのことだった。 ただ、菩提寺であった楞厳寺にあった仁王像の一部が... 2016年6月17日