多くの寺跡がある日置市。都度都度、時間をみつけては訪ねていますが、今回は薩摩琵琶発祥の地「中島常楽院跡」にお邪魔しました。 中島常楽院とは? 中島常楽院は、島津家初代である島津忠久公が薩摩守護として薩摩に降った際に、京都(滋賀説もあり)にあった妙音寺常楽院の住職「宝山検校」を伴ったことが始まりと言われています。※宝山...
廃仏毀釈と寺跡の記事一覧
鹿児島三大行事の一つ「妙円寺詣り」 現在は島津義弘公の御神体が祀られているということで、徳重神社に参るという形になっていますが、妙円寺は廃仏毀後に再建され、今に残ります。→妙円寺HP この点に関して、いろいろな意見があるようですが、個人的には妙円寺にも参ってほしいところです。 やはり原点は妙円寺ですので。。 さ...
先日、「イサオ・クチーナ」さんを訪ねた際、道中で気になる看板を発見。 「鹿児島茶発祥の地」 むむ!!こんなところにそんな場所が?? ということで訪ねてみました(^_^) 般若寺と鹿児島茶発祥の地 般若寺の創建年は不明。ただ南北朝時代には、足利尊氏が九州に陣を進めた時、本陣を定めた場所といわれています。その後、般若寺の住...
先日、東京に出張に行った折、以前よりお参りしたいと思っていた薩摩の偉人たちのお墓へ行ってまいりました。 そこで今回は、東京都台東区上野にある国立博物館初代館長となった町田久成のお墓や、彼の祖先が眠る鹿児島市石谷町(旧松元町)の町田家のお墓をご紹介したいと思います。 町田久成とは? 町田久成は、天保9年(1838年)薩摩...
鹿児島市南林寺町。この由来はこの地にあった南林寺に由来する。現在、この地に南林寺は存在しないが安政の大獄から逃れた尊皇攘夷派の僧侶「月照上人」の墓、ならびに西郷隆盛の菩提寺でもある南洲寺がある。今回はその南洲寺や月照上人について現地レポートを含め触れてみたい。 南林寺とは まずは南洲寺の前に地名の由来となった「南林寺」...
今回は日置市日吉町にある赤山靭負墓所のご紹介です。 また、赤山靱負ご本人についても、幕末の歴史好きなら知っている人も多いのですが、一般的にはあまり知られていない。。(^^;)と、いうことで、まずは赤山靭負という人物についても一緒にご紹介していきます! この記事を要約すると ・赤山靱負の人生についてご紹介 ・赤山靱負のお...
日置市日吉町日置。県道37号線から城の下地区から日新小方面へ曲がった道の先に桂山寺跡がある。 桂山寺の開基は不明だが、日置島津家三代目当主常久公が父忠隣公の菩提寺として一岳等忍和尚が寺を再興させたといわれている。 ※関連:日置島津家初代 島津歳久公墓所(大乗寺跡) https://kagoshimayokamon.co...
小さい頃に伊集院に住んでおり、家の近くのトンネルそばにあった石像にいつも疑問を持っていた。 「なんだろうこれ??」 当時、父にはトンネルを掘ろうとしたら出てきたもんだ。と、言われていたのだが、のちにそれが仁王像だったと知る。。 場所は日置市伊集院町。銀天街を通り抜けた先、妙園寺団地へと続くトンネルの前。ここには、千秋山...
前から紹介しようしようと思っていながら、紹介していなかった場所。 そして、行くとなにやら落ち着ける地区「坊津」 今回は、その「坊津」の地名の由来となったお寺「一乗院」についてのご紹介です(^^)/ 一乗院の歴史 寺伝によると、創建年は538年。百済の僧・日羅によって建立されたといいます。その際、日羅上人は自ら仏像三体を...
島津家の中興の祖島津日新公を祖父に持ち、父は薩摩を統一した島津貴久公。 ※出典:http://日本橋相続.東京.jp/blog2/ 島津義久公の歴史 弟たちは、勇猛、智略、戦術に長けた猛将。一方、義久公はおとなしい存在だったという。それ故、「愚兄賢弟の見本」と若いころは揶揄された。 しかし、そんな義久公を、祖父日新公は...
肝付家と聞くと二つのイメージが出るのではないだろうか? ひとつは大隅の盟主。そして、もうひとつは小松帯刀(肝付尚五郎)の生家ということである。 喜入肝付家墓所 なお、大隅に君臨した本家肝付家は、戦国期...
鎌倉から幕末まで続いた島津家。 その中でも、島津家の教育体制に最も影響を与えたのが島津忠良(日新)公です。 今回はその島津忠良(日新)公の菩提寺でもあった日新寺跡、現在の竹田神社を訪ねてきました!(^^)/ アクセス 住所は南さつま市加世田武田17932。国道270号線をすすめばわかりやすいと思います。 高齢者・障害者...
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