鹿児島三大行事の一つ「妙円寺詣り」
現在は島津義弘公の御神体が祀られているということで、徳重神社に参るという形になっていますが、妙円寺は廃仏毀後に再建され、今に残ります。→妙円寺HP
この点に関して、いろいろな意見があるようですが、個人的には妙円寺にも参ってほしいところです。
やはり原点は妙円寺ですので。。
さてさて、今回はその「妙円寺」そして島津家の菩提寺「福昌寺」を開山した「石屋真梁」和尚というお坊さんのお墓が旧日吉町にあるということで伺ってきました。
石屋真梁(せきおくしんんりょう)和尚とは?
南北朝時代から室町時代の僧であり、伊集院忠国の第11子として生まれ、17歳で禅の修業に入り、京都などで修業を重ね、43歳の時に幽遠山深固院を開山。また、福昌寺や妙円寺、山口県の長門大寧寺、泰雲寺などを開山したと伝えられています。
伊集院忠国は、伊集院家第五代当主として伊集院を統治。南北朝の争乱で、北朝から南朝方につき一宇治城で挙兵し、渋谷五族といわれる、入来院氏、高城氏、東郷氏、祁答院氏、鶴田氏、さらには菱刈氏、島津宗家と激戦を繰り広げています。
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アクセス
旧松元町と旧日吉町の境付近にある扇尾地区。ここに石屋真梁が眠られている「深固院」跡があります。
地図
深固院とは?
案内板にあるように深固院は”しんこ団子発祥の地”と言われています。
言い伝えによると「幽遠山深固院を開山した石屋真梁和尚が、たびかさなる飢饉の際に落穂を拾い集め、籾(もみ)を粉にして餅をつき、醤油をかけて焼き、民に食べさせた」と言われているそうです。※発祥には他説もあり
毎年11月の第3日曜日には、石屋真梁の法要や偉業をたたえ、「深固院祭り」という祭りが開催され、しんこ団子のや地元の食材の販売、舞台での催し物が行われるそうです。
現在の深固院
鹿児島の寺跡となるとやはりこの状態。。悲しいほど破壊された石仏の数々。。
石仏と墓石
胴体のみとか。。
顔を削られていたりとか。。
とにかくひどい破壊の跡。。
その一方で。。
なんとなく寺院の雰囲気があります。。
綺麗に整備されようと努力されている方々の存在を痛いほど感じます。。
かつての石垣のあとでしょうか。。
毎度、心が痛みます。。
墓石は複数箇所に点在しています。。
石屋真梁和尚のお墓
石屋真梁和尚のお墓は、山手のほうにあります。
お隣には普峰京順和尚という方のお墓。。
石屋真梁和尚が開山したという山口県の大寧寺は、今も山口の古刹として多くの人が訪れているようです⇒参考リンク
廃仏毀釈がなければ、深固院も大寧寺のような感じだったのでしょうか。。
普峰京順和尚とは?
薩摩川内市東郷町にあった不二山香積寺を寛文6年(1666)4月に現地に再興された和尚さんのようです。不二山香積寺跡と普峰京順和尚については、下記記事をご覧ください!
まとめ
深固院跡のある扇尾地区は、高齢者が多く人口が少ない集落です。ただ、こういった場所の方が、昔から伝えられているものを大切にされている印象を受けます。
ちょうどお彼岸というのもあったのでしょうが、お花も綺麗に手向けられていました。
鹿児島の寺跡は荒れ放題で、歴代住職のお墓が放置されてる場所もたくさんあります。
そんな中、住人に親しまれ、祭りの舞台となる寺跡もある。。
いろんな思いが錯綜しましたが、石屋真梁和尚やその他の墓石、石仏に手を合わせこの地をあとにしました。。
それではまた(o・・o)/~