坊津の一乗院跡
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前から紹介しようしようと思っていながら、紹介していなかった場所。

そして、行くとなにやら落ち着ける地区「坊津」

ここには、その「坊津」の地名の由来となった寺があったという。

それが「一乗院」

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一乗院の歴史

寺伝によると、創建年は538年。百済の僧・日羅によって建立されたという。その際、日羅上人は自ら仏像三体を刻み、上中下の三坊舎を設けて安置したと伝えられる。これが坊津の地名の由来らしい。
※ちなみに鹿児島市下福元町にも日羅により建立されたといわれる寺跡がある。

清泉寺跡
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記録では、南北朝時代よりその存在が認められており、16世紀には後奈良天皇の勅願寺(天皇、上皇が国家鎮護、皇室繁栄を祈願する寺)となった。さらには、島津日新公や歴代薩摩藩主の保護も受け、江戸時代には薩摩藩屈指の有力寺院となる。

一乗院と島津日新公の関わり

島津日新公は、5~15歳時に一乗院で学んだとされ、港町坊津で貿易の重要性にいち早く気付いたという。その影響は孫世代の島津義久公義弘公達にも受け継がれ、江戸時代における薩摩藩の海外貿易の礎にもなっていく。

今となっては見る影はないが、数百年にわたり海外に開かれた国際港として賑わっていた坊津。

その中心には一乗院があり、高僧や学僧が活躍していた港町として栄えていた。

廃仏毀釈

だが、そこにふりかかったのが明治2年の廃仏毀釈。

栄華を誇った寺院は破壊しつくされ、宝物の多くが失われた。

現在の一乗院跡

そんな寺院の跡地に足を踏み入れる。
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一乗院跡は、坊泊小学校となったあと坊津地区の小学校を統合した坊津学園小学校へ。その後、坊津学園小学校は別な地区に移転し、それ以後は小学校の建物が残るのみの廃校となっている。

この敷地内は自由に入る事でき(建物は×)散策する事が出来る。
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校庭には、かつて打ち捨てられた仁王像(のちに住民たちの手で再建)
一乗院跡の仁王像
※現在、道路側の石積崩壊に伴い崩落の危険性があり工事中。写真は昨年のものです。

校舎前後には寺の遺構。裏手には、上人墓がある。
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上人墓は、非常に珍しい四角墓と呼ばれる形状。他にも複数の像や灯籠が安置されている。
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個人的には、夏休みの小学校。そして、夏のお寺の雰囲気が重なった不思議な場所という印象。

歴史に触れることもさることながら、上人墓の上にある駐車場からの景色は、田舎の港町の雰囲気が漂いたまらない。

坊津=海というだけでなく、こういった場所も訪れてほしいと切に願う。

高齢者、障害者のための環境情報

駐車場にトイレはあるものの車いす非対応。上人墓や敷地内へのアプローチはすべて階段で手すりなども不十分なため気をつけてほしい。
その他情報:https://www.pref.kagoshima.jp/suisui/25-bounotu/013/

坊津輝津館

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こちらでは、かつて一乗院にあった宝物などの一部が展示されている。また、坊津の伝統文化や生活様式についても広く紹介されており、坊津や一乗院跡を訪ねる前後にはチェックしておきたい場所だ。
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館内の二階テラスからは、国指定名勝「坊津」双剣石を見事に望めるおまけ付き!
※参考記事
輝津館展望所(南さつま海道八景) – 鹿児島よかもん再発見!

※館内は撮影禁止ということで入口にあるガラガラ船の展示ブースのみ撮影

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坊津輝津館の高齢者、障害者のための環境情報

館内見学は車いす可能。二階へのアプローチはエレベーターあり。館内のトイレは車いす非対応。駐車場に対応トイレあり。左手すり。トイレットペーパーホルダーと操作パネルの位置がやや離れており問題あり。
その他情報:http://www.pref.kagoshima.jp/suisui/pc/area/minamisatuma/18456/

地図

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