栗野方面に突発的な用事があり遠征(^_^)ノープランだったので用事を済ませた後に、現地で「なんかないかなー」と探すのは久しぶりで、ちょっとわくわくしてました。これが、再発見!というテーマの楽しみ方。 で、訪ねたのは、湧水町の運動公園となっている「松尾城跡」 松尾城とは 松尾城。またの名を栗野城とも言います。元々は、肝付...
史跡の記事一覧
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.12~ 先日、東京出張の折、青山霊園にある松方正義のお墓に墓参する事が出来ました。そこで今回は、鹿児島市にある松方正義像や生誕の地と共にに松方正義という偉人について御紹介したいと思います。 松方正義とは? 写真を少しカラー化して、現実感を出してみます。 誕生 天保6年(1835年)に...
先日、東京に出張に行った折、以前よりお参りしたいと思っていた薩摩の偉人たちのお墓へ行ってまいりました。 そこで今回は、東京都台東区上野にある国立博物館初代館長となった町田久成のお墓や、彼の祖先が眠る鹿児島市石谷町(旧松元町)の町田家のお墓をご紹介したいと思います。 町田久成とは? 町田久成は、天保9年(1838年)薩摩...
シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.11~ 今回は、斉彬公の活躍や西郷隆盛との対立から、物語の中ではスポットの当たり方があまりよろしくない、島津久光公の銅像にお伺いしました。 島津久光公とは 誕生 1817年10月24日 第10代薩摩藩藩主 島津斉興公の5男として生誕。母はお由羅の方であり、斉興公の寵愛を受けた側室です...
じめさあ(持明院様)は、鹿児島県民、特に女性から慕われる島津家のお姫様です。 では、なぜ慕われているのでしょうか?そもそもどんな女性だったのでしょうか?鶴嶺神社との関係は?いろいろ謎があると思いますので、まずは、じめさあ(持明院様)がどのような人物なのかを御紹介していきます(^_^) じめさあ(持明院様)とは? 時は戦...
鹿児島観光といえば?と問われるとその名が必ず出てくる仙巌園。2015年には、世界文化遺産「明治日本の産業遺産」として、旧集成館(反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館を含む)が、関吉の疎水溝、寺山炭窯跡と共に登録。さらにさらに2017年大河ドラマ「西郷どん」と益々注目を集める場所になっています。 じつは以前に...
鹿児島市吉野町実方。西郷隆盛を最後まで支えた二人の生誕地がある場所です。 その二人とは、桐野利秋と別府晋介。二人は従兄弟であり、幕末の動乱の活躍を経て、明治政府ではそれぞれ陸軍少将、陸軍少佐の任に当たるほどの人物達でした。 ※別府晋介(左)と桐野利秋(右) 桐野利秋とは 維新前は中村半次郎を名乗り、我流さらには野太刀自...
寺山ふれあい公園から歩いて南洲翁開墾地跡をすぎ、さらに散策路を進むと寺山炭窯跡に辿りつきます。 寺山炭窯跡とは? 集成館事業において、鉄を溶かす反射炉の存在やガラス製品などの製造を行う為の燃料は動力と同様に重要なものでした。そこで斉彬公は、木炭の供給不足を補う為に、製炭技術に優れた和歌山県の熊野地方に家臣を向かわせ、当...
明治日本の産業革命遺産として登録された寺山の炭窯跡に行く途中、南洲翁(西郷隆盛)が開墾したという土地跡に辿りつきました。吉野あたりにあることは知っていたのですが、案内板を見て「ここだったんだ!」とびっくりでした(^_^;) 道のり 南洲翁開墾地跡への道は関係車両以外は通行禁止。なので、まずは寺山ふれあい公園で車を停めま...
国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産委員会により、2015年7月に明治日本の産業革命遺産として登録されたことで一気に知名度が上がった関吉の疎水溝にお邪魔してきました。 明治日本の産業革命遺産とは? 幕末から明治期に九州、山口を中心に進められた日本の近代化。国としては鎖国状態の中、一部地域の単独貿易により、約50...
姶良市蒲生町にある竜ケ城の岸壁に歴史小説家「司馬遼太郎」先生も訪れた竜ケ城磨崖梵字があります。 司馬遼太郎先生は、1972年の3月22日~24日の間に週間朝日の「街道をゆく」という連載の中で、鹿児島を訪れた際、14代沈壽官氏より蒲生への訪問を進められこの地を訪れたそうです。 歴史 姶良市観光協会によると 蒲生氏の本城で...
天孫降臨で有名なニニギノミコトの子であるヒコホホデミノミコト(山幸彦)の陵墓が鹿児島空港近くにあるとのことでお参りしてきました。 高屋山上陵がこの地に治定されたのは、1874年(明治7年)のことです。まずは、この場所を知る前にヒコホホデミノミコト(山幸彦)の物語について軽く触れます。 海幸彦山幸彦の神話 海幸彦山幸彦の...
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