様々な場所は訪ねてはいながらも、どうにも余裕がなく投稿が渋りがちでしたが、ようやく精神的にも時間的にも余裕ができ始めてきたので、溜まりまくった投稿を再開していきます!
風景だけでなく、以前のように史跡とか文化財とかもご紹介していきますので、改めて宜しくお願い致します。
ということで今回は以前よりシリーズでお伝えしている並列鳥居のある南方神社(諏訪神社)の中から、薩摩川内市入来町浦之名にある「浦之名 諏訪神社」をご紹介いたします(*^-^*)
南方神社の由来
他の南方神社の紹介でもお伝えしていますが、南方神社についてのおさらいです(^^)/
南九州に多いというか、ほぼほぼ南九州にしかない南方神社ですが、元々、明治以前は諏訪神社として、宮崎や鹿児島各所に鎮座しておりました。その理由としては、島津家初代である島津忠久公が奥州藤原氏の征伐の際に、信州諏訪社に祈願し、その後、信濃の一部を治めたことがきっかけではないかと言われています。
そんなわけで諏訪神社は稲荷神社同様に島津家による崇敬が厚かったため、各地に諏訪神社が遷座されたのではないでしょうか。
その後、明治に入り、どういう経緯かはわかりませんが、御祭神の建御名方神(健南方神)から南方をとり、南方神社と呼ばれるなったという説があります。一方で、諏訪神社として残っている神社も県下にはあり、その違いは何なのか??大変興味がもたれるところです。
ちなみに諏訪神社は、上社(建御名方神)下社(事代主命)としてお二方の祭神を祀られている神社もあれば、どちらかお一方という場所、もしくは建御名方神とお妃である八坂刀売神を祀っている神社など、神社庁と内容が相違している神社もあり、はっきりとはしていません。
並立鳥居については、島津家が信州諏訪の諏訪大社上社・下社の両社を勧請した際に、上社と下社を並立した形式で造営し、結果として鳥居も並立して建てられましたという説があります。
その後、薩摩の各郷に同じ形式で分社が造られましたが、時代の変遷や経済的理由で一基の鳥居のみが建てられるようになり、また本殿も、上社と下社を統合した一つの社殿になりました。
県内に残る並立鳥居
意外に並立鳥居の神社が残っていますのでまとめてみました。リンクがあるものは、当サイトでも紹介しております。
・枕崎市鹿篭麓町(南方神社)
・南さつま市加世田益山(八幡神社合祀)
・南さつま市金峰尾下(南方神社)
・南さつま市金峰中津野(南方神社)
・南九州市川辺町小野(南方神社)
・日置市東市来町湯田(諏訪神社)
・いちき串木野市生福(南方神社)
・いちき串木野市川上(諏訪神社)
・薩摩川内市東郷町斧渕(諏訪神社)
・薩摩川内市湯島町(南方神社)
・薩摩川内市入来町浦之名(諏訪神社)
・南大隅町根占(諏訪神社)
浦之名 諏訪神社の場所は?
国道328号から諏訪温泉を目指すとわかりやすいです。諏訪温泉の道路反対側に「愛宕ビスタパーク諏訪基地入口」という看板の立った脇道(上り坂)がありますのでそこから目指します。正直、車でここを登っていくのはおすすめしません。理由は後程ご紹介する道のり動画を見て頂ければわかると思います。軽トラかオフロードバイク推奨です(笑)
- 住所:鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名8816
- 地図(GoogleMap)
浦之名 諏訪神社へ
到着するし案内板を見ると、元々は山王信仰だったようですが、合祀によりその後は諏訪社としての扱いとなったようです。歴史の流れですね。
道のりが一般的な車だと厳しかったため、鳥居や社の状態が不安でしたが、鳥居に関しては物凄く頑丈そうな造りのものが出迎えてくれました。
ちなみに道のりがどんな感じだったかは以下の動画をご覧ください。元動画を失ってしまったため、以前に個人的にS.N.Sに投稿したものをダウンロードしたため、画質は悪いです。※神社から一般道までの帰り道となっていますが参考にはなるかと
事前に車をおすすめしなかった理由がおわかりいただけたでしょうか(笑)それでも途中途中、土嚢を入れてくれていたり、木々を払ってくれていたり、地元の方々の努力が伝わってきます。
では社に向かいましょう
恐らくそんなに頻繁に人が手を入れることは難しいと思うのですが、保たれておりました
寺跡も神社も、地元の方々の手が入ってこそ、綺麗に維持されているのだと、いつも感謝の気持ちをもって訪ねさせていただいております
まとめ
私の中では、鹿児島に残る並列鳥居の神社の中で一番道のりが大変な神社といった感じでしたが、(下から歩いて訪ねた為💦)
非日常感が凄くて落ち着いて過ごすことができました。暑くなると、マムシやスズメバチなどとも遭遇しそうですし、イノシシの罠もありましたので、イノシシとの遭遇にも注意したいところではあります。
訪ねる際は十分お気を付けくださいね!
それではまた(o・・o)/~