島津義久の記事一覧
じめさあ(持明院様)は、鹿児島県民、特に女性から慕われる島津家のお姫様です。 では、なぜ慕われているのでしょうか?そもそもどんな女性だったのでしょうか?鶴嶺神社との関係は?いろいろ謎があると思いますので、まずは、じめさあ(持明院様)がどのような人物なのかを御紹介していきます(^_^) じめさあ(持明院様)とは? 時は戦...
霧島市隼人町住吉の浜之市地区 ここには豊臣秀吉の九州征伐後、事実上の隠居に追い込まれた島津義久公が築いた富隈城の跡が残る。 南北250m、東西150m、高さ30m余り 平地の丘の上に屋敷がのっている形で、城の西・東・北側に堀があったといわれているが、戦国期特有の守るための城というよりも、防御面を重視しない屋敷のような城...
小さい頃に伊集院に住んでおり、家の近くのトンネルそばにあった石像にいつも疑問を持っていた。 「なんだろうこれ??」 当時、父にはトンネルを掘ろうとしたら出てきたもんだ。と、言われていたのだが、のちにそれが仁王像だったと知る。。 場所は日置市伊集院町。銀天街を通り抜けた先、妙園寺団地へと続くトンネルの前。ここには、千秋山...
前から紹介しようしようと思っていながら、紹介していなかった場所。 そして、行くとなにやら落ち着ける地区「坊津」 今回は、その「坊津」の地名の由来となったお寺「一乗院」についてのご紹介です(^^)/ 一乗院の歴史 寺伝によると、創建年は538年。百済の僧・日羅によって建立されたといいます。その際、日羅上人は自ら仏像三体を...
島津家の中興の祖島津日新公を祖父に持ち、父は薩摩を統一した島津貴久公。 ※出典:http://日本橋相続.東京.jp/blog2/ 島津義久公の歴史 弟たちは、勇猛、智略、戦術に長けた猛将。一方、義久公はおとなしい存在だったという。それ故、「愚兄賢弟の見本」と若いころは揶揄された。 しかし、そんな義久公を、祖父日新公は...
鹿児島玉龍高校の裏手に島津本家の殿様たちが眠る墓所があります。今回はそちらに行った時のレポートです。 福昌寺は、応永元年(1394年)島津氏第7代当主島津元久公が妙円寺を建てた石屋真梁を招き建立したといわれています。それ以後、島津氏当主の墓が建てられるようになり島津本家の菩提寺となりました。 江戸時代後期に薩摩藩によっ...
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