古民家 茶いっぺのみやんせ!きりしまのよかもん:霧島市 きりん商店こそ小売店の過去と未来をつなげるお店の姿 2014年6月にオープンのきりん商店 霧島市某所へ訪ねる途中に発見した地域のアンテナショップ。 コンセプト きりん商店は「きりしまのよかもん」の略称。素晴らしいです。 新しいものを作りだすよりも、そこにあるものを見つける。 地域のものを、人の手によるものを新しい形で。 ということで、このお店には霧島のよかもんが集まりま... 2016年6月23日
史跡 私学校跡:西南戦争のきっかけのひとつ。生々しい弾痕が今も残る 鹿児島市に残る、間接的には西南戦争のきっかけになった場所。 歴史 明治6年(1873)いわいる征韓論を政府側は棄却。その為、西郷隆盛は政府の職を辞して鹿児島に戻る。 これに追従する形で、桐野利秋や篠原国幹など、薩摩出身の関係者も多数が鹿児島に帰ってくる。 一方、鹿児島では、急激な変化を押しつける新政府に対し、多くの士族... 2016年6月21日
史跡 小松帯刀像:薩摩の名宰相を訪ねて シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.7~ 幕末薩摩藩の家老。正式な名は小松清廉(きよかど)、通称として小松帯刀尚五郎と呼ばれる。 小松帯刀の歴史 1835年12月3日、喜入領主肝付兼善の3男として生まれた。 15歳頃から勉学に励んだが、17歳頃から病気がちだったという。 しかし、勤勉な小松帯刀は、徐々に大久保利通など若... 2016年6月19日
史跡 霧島市立国分郷土館:国分の歴史民俗資料だけでなく西郷隆盛の書なども展示 福山で島津忠将公の供養塔を発見後、島津忠将公の墓所を調べに国分を訪ねた。 参考記事:島津忠将公供養塔(七寶塔):義弘公に繋いだ次男猛将伝説。元祖はこの武将 これに関しては、調べていくと残念ながら、忠将公のお墓は太平洋戦争時、米軍の爆撃で破壊されてしまったとのことだった。 ただ、菩提寺であった楞厳寺にあった仁王像の一部が... 2016年6月17日
史跡 龍門司坂(たつもんじざか):江戸初期に造られ西南戦争でも使われた薩摩筋 @姶良 国指定史跡 歴史の道百選 龍門司坂(たつもんじざか)概要 寛永12年(1635)加治木島津家により、約100年をかけ造られた街道(薩摩では筋と呼んでいた) 現在は、全長1,500mの内、現在500m弱が当時の状態を保っている。 ちなみに石畳敷きの平均幅は約4m、最大幅は7m。 江戸への移動や物資輸送などに使われたこの道... 2016年6月12日
温泉 さくらさくら温泉 :全国でも珍しい泥湯を楽しもう!@霧島 霧島温泉郷のにある山の中の温泉宿。 宿泊も人気のお宿だが、日帰り入浴も充実している。 と、いうのは、多くの温泉宿は日帰り入浴が15:00までだったりするのだが、ここでは20:00時までOKなのだ。 私は、この日、県外からの知人を温泉に招こうと思っていたのだが、上記の理由でなかなかみつけられず苦労したので大変助かった。 ... 2016年6月8日
史跡 島津義久 島津義久公墓所(金剛寺跡・徳持庵跡):分骨埋葬された九州の覇者 島津家の中興の祖島津日新公を祖父に持ち、父は薩摩を統一した島津貴久公。 ※出典:http://日本橋相続.東京.jp/blog2/ 島津義久公の歴史 弟たちは、勇猛、智略、戦術に長けた猛将。一方、義久公はおとなしい存在だったという。それ故、「愚兄賢弟の見本」と若いころは揶揄された。 しかし、そんな義久公を、祖父日新公は... 2016年6月4日
史跡 川路利良像:大久保と共に”私”より”国”をとった初代警視総監 シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.6~ 大久保利通と共に鹿児島出身でありながら、鹿児島県民に圧倒的に嫌われている偉人といえば「川路利良」である。 川路利良の歴史 川路利良は、現在の鹿児島市皆与志町に生まれた。 禁門の変にて、長州軍を相手に奮戦。その後も戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦い、会津戦争などで戦果をあげる。 明治政府... 2016年5月28日
史跡 【曽於市】溝ノ口洞穴:曽於市を代表する自然が造り出した文化財 今回は、曽於市財部にある数千年という永い年月を経てできた洞穴、溝ノ口洞穴へ行ってまいりました! アクセス 宮崎県の都城市にほど近い山の中にあります。駐車場はありますが、道幅が狭く離合できませんのでご注意ください。 住所 鹿児島県曽於市財部町下財部4907 高齢者・障害者向け環境情報 車いすが安全に通るには、入口の柵を管... 2016年5月27日
史跡 島津忠将公供養塔(七寶塔):義弘公に繋いだ次男猛将伝説。元祖はこの武将 @福山 島津日新公の長男は貴久公。フランシスコ=ザビエルと謁見した際の島津家当主であり、父日新公と共に島津本家の混乱を治め、のちの三州(薩摩、大隅、日向)統一の基礎を作った人物だ。 ただ、その陰には最前線で鬼神の如き働きをした弟の存在があったのを御存知だろうか? それが、日新公次男の「島津忠将公」である。 出典:http://... 2016年5月25日
史跡 天璋院篤姫像:島津分家の出ながら将軍御台所へ シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.5~ 概要 2003年フジテレビ系「大奥」 2008年NHK大河ドラマ「篤姫」 これにより世間から一斉に注目を集めた「天璋院篤姫」 今和泉島津家という外様大名島津家の分家の出ながら、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所になった人物。 ただ嫁いだだというけでなく、徳川家や江戸を戦乱から救... 2016年5月22日
史跡 有馬新七ゆかりの地:志半ばで倒れたが、のちに高く評価された悲運の志士 薩摩藩の幕末志士 有馬新七について今回はご案内したいと思う。 有馬新七の歴史 有馬新七は伊集院の古城村(当時)にて、薩摩藩士・坂木正直の息子として生まれた。 その後、新七が3歳の時、父が有馬家に養子に入ったのに伴い、鹿児島城下へ移住。 剣では直心影流を学び、19歳で江戸に出てからは山口菅山の元に入門。さらには山崎闇斎か... 2016年5月20日