喜入の南方神社を訪ねてから、県下の諏訪神社や南方神社に興味を持ち始めました。
喜入南方神社の記事でご案内していますが、諏訪神社や南方神社というのは元々、長野県の諏訪大社に由来します。江戸末期に編纂された三国名勝図会にも薩摩藩領内にあった諏訪社の記載が多数みられています。
明治以降、合祀などでなくなった神社もありますが、各地域に村社として点在していますので、鹿児島に住まわれている方々には身近な神社じゃないかなと
そんなこんなで、今回は南九州市川辺町小野の南方神社を訪ねてみました(^^)/
小野 南方神社の詳細
まずは、小野南方神社の歴史や交通アクセスについてご案内( ^ω^ )
小野南方神社の歴史
神社の由来
建立の由来は明らかではありませんが、棟板に元禄2年(1689年)のものがあります。近年痛みがひどく約300年ぶりに築造しました。境内に2つの鳥居と2つのご神体、2組の狛犬があります。諏訪神社は「上下大明神」とあるように上宮と下宮の2つがセットで、この神社のように鳥居と社殿が2つあるのが正しいとされています。しかし現在は1つしかないところが多く、大変珍しいとされています。現地案内板より
さらに、社殿そばの案内板には以下のように記述されています。コケだらけですが…(^^;)
小野南方神社の狛犬 昭和54年3月31日指定
南方神社とは、諏訪神社の別名で、鹿児島県内で使用されている名称である。ここ小野南方神社には二つの御神体(鎌)があり、二つの鳥居、二対四対の狛犬がある。これらの狛犬は、江戸時代の元禄二年(1689)に、久保田大右衛門という石工によって彫刻されたもので、保存状態も良い。久保田は元禄年間を中心に、町内各地で石像を制作しており、とくに高田方面に多く残っている。九月一八日に行われていた祭礼では、小野の人々が太鼓踊りを奉納していたという。
平成17年2月設置 南九州市教育委員会
現地案内板より
住所
鹿児島県南九州市川辺町小野89
交通アクセス
車で行くのがベストですが途中で道が狭くなります。下記の路地を入っていきます。
バス
- 鹿児島交通 加世田-知覧線 もしくは 加世田-川畑-知覧線 小野バス停から約240m
- 鹿児島交通 加世田-知覧線 もしくは 加世田-川畑-知覧線 公民館前バス停から約200m
地図
小野 南方神社の様子
田んぼの真ん中にある小高い森。ここが、小野南方神社。日本の田舎らしい風景に嬉しくなります。すでに稲刈りが行われ始めていましたが、青々とした田んぼの時期はまた別の美しさがあるでしょうね( ^ω^ )
上社、下社のある諏訪神社の特徴。並列鳥居。
右側が新しいな。。と思ったら、平成28年の台風により倒壊したとのこと。近年の自然災害の猛威はこういった地域の文化遺産も容赦なく破壊します。。
地域の方々含め、心ある人たちの支援により再建された鳥居。またこれから先、訪れる人たちを迎え入れてくれるでしょう。。
社殿。拝殿の奥にうっすら赤い本殿の上社、下社が見えます
物凄く暑い日だったのですが、木々に囲まれた神社の境内というのは本当に良い風入ってきて涼しいです。なお境内には「日清、日露戦争」の戦没者慰霊碑などもあります。
南九州市指定有形文化財の狛犬
江戸時代の石工 久保田大右衛門作の狛犬。木々に守られていたためでしょうか、本当に保存状態が良いですね!
そして、久保田大右衛門の名をどこかで聞いたことがある。。と思ったら、川辺町高田地区のある高田磨崖仏でした。そこでも久保田大右衛門作の仏さまを見ることができます。
境内からの風景
落ち着く。。日本人として、とても落ち着く田舎の風景が広がります。。
小野南方神社近くの墓石など
小野南方神社に向かう途中に、墓石が並んでいました。先にお伝えしたアクセス案内のGoogleストリートビューにも写っていると思います。
どちらかにお寺があり、廃寺となったためこのような形になったのだと思い、三国名勝図会を調べてみたのですが、小野地区のお寺の記載はありませんでした。その後、川辺町風土記を調べると、大福寺というお寺があったことがわかりました。
わかりにくいですが、上の写真の真ん中の仏さまの横に〇福寺?と読めるような記述を見つけました。大福寺なのか、それともかつて川辺町清水付近で薩摩高野山とよばれた宝福寺に関するものなのか。。
詳細は分かりませんが、小野地区に由来するものだと思います。。
まとめ
さて、小野南方神社いかがでしたでしょうか?
大きくて有名な神社よりも、こういった田舎の神社がいいなぁと、改めて感じさせてくれる気持ちの良い神社です。
有形文化財となる狛犬も本当は博物館レベルのものです。そういったものが地域にごろごろある鹿児島は本当に再発見する喜びがたくさんあります。
是非とも訪ねてみてくださいね!
それではまた(o・・o)/~