鹿児島県民の特別な場所!山形屋は日本の百貨店で一、二を争うモダンな外観だと思う

鹿児島県民にとって、山形屋というのは本当に特別な場所で、なにかしら御礼とか贈答品を送る機会があった場合、その最上級として山形屋を選択するというのは、常識として浸透しているような気がします。

さて、そんな山形屋さんですが、お店の外観の素晴らしさに嬉しくなってしまうのは私だけでしょうか(^^;)

と、いうことで外観の建築美にスポットを当てて今回はご紹介させて頂こうと思います(^^)/

注意
※スマートニュースからの購読だと写真がほとんど表示されない場合があります。その際は記事の一番下に表示される「オリジナルサイトを読む」をクリックしてくださいm(__)m

山形屋の歴史

山形屋の詳細な歴史は、山形屋公式HPでもご紹介されていますので、ここではザックリご紹介します。ちなみに山形屋の増改築についてはこちらの論文(PDF)がおすすめです→「鹿児島・山形屋百貨店1号館の増改築と機能の変遷に関する研究

誕生の歴史など

創業者である「岩元源衛門」さんは、元々、山形県の出身で若くして山形の特産であった「紅花」を扱った取引をはじめ、主に京都や大阪を中心に販売し、呉服や織物などの販売も行っていました。

そんな折、他国の人間の出入りが難しいとされる薩摩藩では、当時の薩摩藩藩主 島津重豪公により、他国の町民の入国を自由にして、薩摩藩領内への永住や縁組なども許可した大幅な規制緩和政策が行われました。この中に商人誘致政策も入っていることを知り、家族を引き連れ鹿児島に移住し、安永元年(1772)鹿児島城下の木屋町(現在の金生町)に山形屋が誕生します。

その後、大正5年(1916)には、ルネッサンス式鉄骨鉄筋コンクリート(地下1階~地上4階)の新店舗が誕生。戦禍により被災するものの、本館の増築や2号館の完成などを経て、平成10年(1998)に、ルネッサンス調のデザインに一新されました。

山形屋の建築美

いづろ通りを歩いていると見えてくるこの壮観な建物。山形屋なのになんで「岩」なの?と、いうのは、創業の歴史を学べば納得ですね。

市電とのマッチング。これぞ鹿児島の風景

夜になると一段と美しい

やっぱり大正時代のルネッサンス調の建築デザインって素晴らしいな・・と、

そういえば、鹿児島県立考古資料館(明治16年)、鹿児島市庁舎(昭和12年)、鹿児島県立博物館/旧県立図書館(昭和2年)、南日本銀行本店(昭和13年)、鹿児島県教育会館(昭和6年)、県政記念館/旧鹿児島県庁舎本館(大正14年)、日本瓦斯本社社屋(昭和6年)あたりも、明治~戦前にかけての押さえておきたい建築物

※参考写真:日本瓦斯本社社屋

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?建物内側の梁とかも、昔の名残を感じさせる部分があるのですが、勝手にとるわけにはいかないので、今回は外観主体でご紹介しました(^^)/

いつまでも鹿児島県民にとって、特別な場所として山形屋さんには輝いてほしいものです。

それではまた(o・・o)/~

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2020 takuya noda

鹿児島の風景パズル販売
郷土の風景をパズルで楽しむ

鹿児島の焼酎レビューサイト
鹿児島人が実際に飲んだ焼酎をご紹介!

鹿児島の風景写真サイト
写真から直感的に行きたい場所が探せる

鹿児島の風景写真集
写真クリックをすると撮影場所がわかる写真集!

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう