数年前に喜入に残る肝付家墓所(玉繁寺跡)を訪ねたことがあります。ここは、小松帯刀の生家である肝付家の墓所であると同時に、かつてあった玉繁寺というお寺の跡でした。
そんな玉繁寺跡付近には、まだまだ見どころがある!ということで、梅雨の晴れ日を利用し散策してみました。
玉繁寺跡の滝へ
まず訪ねたのは玉繁寺跡の滝
以前に訪ねた時は木々が茂り、水の音は聴こえるもののどこに滝が??と、まったくわからなかったのですが、かなり切り開かれていました。切り開かれた皆様に感謝申し上げます!
足場に気を付けながら近づきます
一段一段の落差は低く、ダイナミックさはありませんが、王繁寺があったころはよい風情を醸し出していたのではないでしょうか。。
水の音と鳥の声を聞きながらゆっくり過ごせます。。
玉繁寺橋と香梅ヶ渕橋
続けてこの滝の下流にいくと玉繁寺橋のアーチを見ることができます。下の写真のガードレールが付いている橋が玉繁寺橋です。この写真を撮った場所は滝から橋を挟んで反対側になります。
逆に言うとこのアーチの向こう側が上流で滝がある方向になります。
そして下流には小さな香梅ヶ渕橋という橋があります。この場所は香梅ヶ渕橋の脇から降りたところです。
玉繁寺橋と香梅ヶ渕橋はともにコンクリートで一部補強されています。石積みの状態や玉繁寺橋のアーチの形状から時代を感じますが、いつ架けられた橋なのかはわかりません。
玉繁寺橋の上に、麦わら帽子で虫取り網を持った子供が立ってくれたりしたら、いいポートレートが取れそうな気がします(*^-^*)
地図
香梅ヶ渕
続けて、すぐ近くにある香梅ヶ渕(こべがぶち)という場所へ
香梅ヶ渕とは
言い伝えによると、その昔、この地を治めていた領主が家来や侍女と花見の宴を開いた際、香梅という美しい侍女の帯が擦れ合って”おなら”のような音が鳴ってしまいました。その時、領主や他の侍女など皆、香梅がおならをしたと思ったようです。
それに対し、家来の1人が「杯を清流に投げ入れて,下流に流れれば潔白が証明される」と叫んだそうです。水の流れは上流から下流に流れるのは必定。その場を無事に収めるための優しさだったのでしょうか?
ところが、香梅がその通りにすると、杯は上流に流れていきます。この結果に香梅は失望し、渕に身を投げてしまったと言われています。
この一件で亡くなった香梅を偲んで人々はこの渕のことを「香梅ヶ渕」と呼ぶようになったといいます。
※なお地元では「紅梅ヶ渕」そして、姫の名は「紅梅」として伝えられているとのこと。
香梅ヶ渕の行き方と現在の様子
墓地の道路向かいから降りていきます。
案内に従い左手に行きましょう。ちなみにまっすぐ行くと香梅ヶ渕橋です。左に降りていくと緑あふれる広場のような場所が!
野鳥の案内があります。確かに多い。。※ズームレンズを忘れてきたので撮影できず。。
ゆるやかな川の流れです。この日の川の色は乳白色でした。おだやかにおだやかに流れていきます。。
地図
まとめ
いかがでしたでしょうか?
観光地として大規模な整備がされているわけでもなく、地域に伝わる自然景観や歴史がそのまま残っている場所。
若いうちはとかく退屈で、何もないと言ってしまうのですが、昔のまま保たれていることがどれだけ贅沢で貴重なのか。。
たまにはこういう場所でぼんやりしてみてはいかがでしょうか?(^^)/
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それではまた(o・・o)/~