霧島市横川町には古くから大隅五社のひとつに数えられている神社があるということで訪ねてみました。
それが今回ご紹介する「安良神社」です。
・安良神社は創建から約1300年以上
安良神社の詳細
まずは、安良神社の歴史や場所についてご案内していきます。
大隅五社とは?
大隅五社というのは、鹿児島神宮、霧島神宮、加治木春日神社、福山宮浦宮、そして安良神社のこと。色々調べたのですが、そもそも大隅五社というのが、いつの時代から言われるようになったのかというと、はっきりしたことはわかっていません。
ただ、神宮や神社に関する資料のひとつとして、平安時代に編纂された、延喜式(えんぎしき)と呼ばれる格式(律令の施行細則)があります。これは、延喜5年(905年)に醍醐天皇の命で藤原時平らが編纂を始めたとされ、延長5年(927年)に完成。967年(康保4年)より施行されました。格式(律令の施行細則)というとピンとこないかもしれないですが、早い話、法律の細かい内容がまとまったものと、いったところでしょうか。
この延喜式の九巻十巻は、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧となっており、これを延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)と言います。この延喜式神名帳では、延喜式内社として、大隅五社のうち鹿児島神宮、福山宮浦宮が記載されています。
この時、延喜式神名帳に入っていない式外社であった、霧島神宮、加治木春日神社、安良神社が大隅五社と呼ばれるようになった経緯は何なのか?
非常に興味深いのですが、はっきりしたことはわかりませんでした。でも、こいうった謎が、また歴史の楽しみだったりもしますね(*^-^*)
安良神社の歴史
御祭神
- 安良姫命(
- 十一面観世音菩薩
- 稲牟礼宮
- 腰越宮(安良姫母君)
- 諏訪宮(農工商の神)
飛鳥時代。京都で宮仕えをする安良姫という官女が、あるとき、川辺に出て紺染めの直垂を洗っていた。たまたま白鷺が多数飛来したのに見とれ、直垂の片袖を流失させてしまい、そのとがにより重罪に処せられることになった。ところが姫は十一面観音を篤く信仰していたので、観世音がその身代わりとなられ、難を逃れた安良姫は隅州横川の里に身を隠すこととなった。しかし姫は、京のこと母君のことを思い、永遠に罪を負う悲しみなどの憂愁の果てに安良山の頂上で自害されてしまった。その後、この里に種々の霊怪が度々起こったので、村人等がその霊を慰め、安良岳の頂上に姫を祀った。さらに今から七百年くらい前、安良岳の麓の現在地に遷された。
神社には貞永五年、康応二年の棟札や板碑、古文書など多数を蔵する。享保十九年には正一位安良大明神の贈位があり、昔から大隅五社の一つに数えられていた。
アクセス
横川町中心部から天降川に沿ってさつま町方面に進むと右手にあります。
地図
安良神社の様子
例によって三国名勝図会にも記載が見られます。
ただ当時にはなかった(当然ですが・・)バリアフリー参道というものが設けられており、その参道にも鳥居が建っています。
階段を上ったところにあり鳥居。ここから眺める境内と社殿の雰囲気がとても良いです。
夏休みの田舎の神社。そんな雰囲気と言えばわかりやすいでしょうか・・
夏。ミンミンとセミが鳴くこの場所にもう一度来てみたいです。。
さて、境内にはいくつかの摂社があります。そのひとつが天神様。
個人的にはたくさんの人が訪れる太宰府天満宮とかにわざわざ行くよりも、分祀された地域の天神様を大切にする方がそこに住む人々にはいいような気がします。
そしてこの天神様の脇に御神木への階段が・・コンクリートで固めたり、手すりを付けたりと。バリアフリー参道といい、宮司さんたちのご配慮が感じられます。
その上に樹齢約400年の御神木
とにかく立派!
見上げたら、七支刀のような枝ぶり(^^;)力強さを感じます。
まとめ
長い歴史を持つ安良神社。
地域で今も大切にされている神社というのはすぐにわかるものです。空気が清々しくずっといたくなる。。
ちなみにFACEBOOKで発信もされており、神事や地域活動、神社を大切にされている様子なども配信されています。→安良神社FACEBOOKページ
霧島神宮などと並び称される古社。是非とも訪ねてみてください(^^)/
それではまた(o・・o)/~