堂崎城跡:最低でも450年以上前の石階段が残る長島に残る城跡

長島散策をしていたら、またまた気になる場所が出てきた。。

堂崎城跡

長島にも城跡が残っているんだなー

と、思い訪ねてみると、なんとなんとちょっぴりワクワクする城跡じゃないですか!

ってことで、今回は堂崎城跡のご紹介なのです(*^-^*)

この記事を要約すると
・かつて長島氏という一族が治めた堂崎城というのが長島にはあった
・築城年は不明だが最低でも450年以上前の石階段が残る
・城の裏手の岩礁に降りることができる

堂崎城跡の詳細情報

まずは堂崎城跡の歴史や行き方などをご紹介(^^)/

歴史

堂崎城の築城年代は定かではないらしいですが、鎌倉時代初期頃に天草一族である長島氏がこの地を治め、その際に築かれたといわれています。

長島氏は南北朝時代から室町時代にかけて勢力を拡げ、天草八氏の一氏に数えられるようになりましたが、室町時代末期、人吉の相良氏が長島に勢力を伸ばしはじめ、天文23年(1554年)7月、ついに相良氏の強圧に耐えかね、城主であった長島但馬守鎮真は堂崎城を放棄し、薩州島津家を頼って出水に逃れます。その後、相良氏からは天草越前正が入城。

それから11年後の永禄8年(1565年)薩州島津家第6代当主であった島津義虎は、叔父の島津常陸守忠兼に長島攻略を命じ、これに敗れた城主 天草越前正は切腹します。

それ以降、常崎城だけでなく長島も薩州島津家の領有となり、常崎城は島津忠兼が居城としましたが、島津忠兼は常崎城落城からわずか3ヶ月後、甥であり主君でもある島津義虎に騙され殺されてしまいます。

御八日踊りと忠兼の祟り

島津忠兼が島津義虎に誅殺された翌年、野田や長島では疫病が大流行します。この疫病で多くの死者多数が出たことをこの地区の住民らは「忠兼の祟り」として重く受け止め、汐見と堂崎城跡に若宮神社を建立し島津忠兼を祀り、その命日である7月8日に踊り(御八日踊り)を奉納するようになりました。なお、現在は新暦である8月8日に行われています。

御八日踊りの動画

アクセス

国道389号から途中左折します。詳細は下記の地図をご参照ください。

地図

現場レポート

長島の堂崎城跡

現地に着くと車が数台停められるスペースがあり、そのすぐそばに当時の遺構となる石段が姿を現します。

多少、コンクリートで補修した跡がありますが、なんとも風情がある石階段です。

長島にある堂崎城跡に残る石段

この石階段のそばに、案内板や慰霊碑があります

お参りをしましたら。。さて、登っていきましょうか!

イメージ的には内馬場から御場内に登り、本丸を目指す感じですね

御場内は広々してますが藪になっています

上記写真、左の小道を進んだ先に

本丸跡、若宮神社がありました。波の音が心地よい神社です。

若宮神社の社殿左奥に通路があったのでさらに先に進むとまた神社があります。どうやら金比羅神社のようです。航海の無事などを祈る神社ですね。比較的、近年に建立されたようです。

金比羅神社の横を通り過ぎる形で道はさらに続きます

木々の向こうは海。そんな斜面を下ると。。

ロープが張られた岩礁にでてきました

岩礁から見上げた堂崎城跡

目の前の海は気持ちがいいです。それにしてもこの岩礁。明らかに溶岩が冷え固まったものだとわかるような感じで、そういった意味でも見る価値ありです(笑)

すぐそばには波で浸食された甌穴があったのですが、なんともそこの水が綺麗でついつい写真を撮ってしまいました(*^-^*)

ここまでの道は釣りをされる方たちがつくられたのかもしれませんね。。

まとめ

いかがでしたでしょうか?長島を代表する城跡ですが、こういった石階段が残っているお城は鹿児島ではめずらしいです。

また、本丸跡に戦国期から伝わる神社があったり、裏手からは海に降りられたりと別な魅力もあります。ちなみに歴史のところで触れた汐見の若宮神社の場所はあとでわかりましたので、後日再訪し追記していこうと思います。

長島町。景色や食、人もいいけど歴史も楽しみましょう!

長島ランチスポット

それではまた(o・・o)/~

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2019 takuya noda

鹿児島の風景パズル販売
郷土の風景をパズルで楽しむ

鹿児島の焼酎レビューサイト
鹿児島人が実際に飲んだ焼酎をご紹介!

鹿児島の風景写真サイト
写真から直感的に行きたい場所が探せる

鹿児島の風景写真集
写真クリックをすると撮影場所がわかる写真集!

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう