前回は、宝暦治水と鹿児島にある薩摩義士ゆかりの地について書きましたが、今回は鹿児島を飛び出し、岐阜県と三重県のあるゆかりの地を訪ねてきました。※薩摩義士の墓所は、三重県、岐阜県、京都府、鹿児島県の計16のお寺にあります。

海蔵寺

宝暦治水における自害者のうちその半数近くの24名のお墓がある海蔵寺

本堂向かって左が墓所になります。

千本松原の松

これは当時植林された松の木だそうです。

薩摩義士の墓

義士の名が並びます

ひたすら祈ります。

その後、お寺の方にお声掛けし本堂へ

本堂とご位牌

本堂にてお詣り後、その横でご位牌が祀られている場所へ

こちらでも深々と、ただひたすらに祈念

他の墓所の案内

今も多くの人が訪れるそうです。ただ、写真を見る限り若い人が少ないのが気がかりです。

アクセス

JR桑名駅より徒歩1km圏内にあります。

地図

治水神社

1か所1か所丁寧にお詣りしたいと思いながらも、お寺が工事で入れなかったりした場所もありタイムロス。。やや後ろ髪をひかれる思いで、岐阜県海津市にある治水神社を目指します。

 

治水神社は、薩摩義士を祀るために地元の方々がお金を出し、昭和初期に建立されました。

 

JR桑名駅から養老線多度駅で下車。のんびりとしたところです。

駅前でタクシーを呼び治水神社へ

清めます。。

参道を進み本殿へ

実はこの裏手にも..こちらにもお詣りしました。

アクセス

養老線多度駅からタクシーを使うのが一番早いです。多度駅からバスでいくことはできませんし徒歩だと距離が長いです。

地図

宝暦治水の碑

治水神社からほど近い場所に宝暦治水の碑があります。

平田靱負と共に明治初期近代的な治水工事を手掛けたオランダ人土木技師ヨハニス・デ・レーケについても紹介されています。

この奥に碑がありました。

碑の内容が別途掲示されていますが読みづらい。。

現在の川の様子。。静かです。いろんな想いがこみ上げます。

アクセス

治水神社から数百メートル南にあります。タクシーで治水神社の後に立ち寄りました。

地図

常音寺

宝暦治水碑のあとは、常音寺というお寺へ。

こちらには病死された義士4名、自害された義士1名のお墓があります。

アクセス

多度駅から約1kmと徒歩圏内ですが、タクシーで治水神社などを巡って、一緒にお詣りしたほうが良いかと思います。多度駅⇒治水神社⇒常音寺⇒多度駅でおおよそ5000円以内といったところです。

地図

 

薩摩義士及び宝暦治水犠牲者の墓所一覧

以下、ちょっと大変でしたが、薩摩義士墓所一覧を作成し、MAP化もしてみました。

薩摩義士墓一覧

※あくまで現在伝聞される内容を元に記述していますが、死因に関して近年の研究で病死がほとんどと言われています。

海蔵寺 三重県桑名市北寺町10 24名

(割腹)

長寿院 三重県桑名市北寺町31-3 3名

(割腹)

長禅寺 三重県桑名市尾野山南1517-1 1名

(病死)

常音寺 三重県桑名市多度町香取135-1 1名

(割腹)

4名

(病死)

天照寺

 

岐阜県養老郡養老町根古地218 27名

(病死)

3名がお寺で、200mほど離れた根古地薩摩工事義歿者墓に24名
円成寺 岐阜県海津市南濃町太田66 13名

(割腹)

常栄寺 岐阜県海津市平田町今尾3118 1名

(割腹)

清江寺 岐阜県羽島市江吉良町451 3名

(割腹)

少林寺 岐阜県羽島市竹鼻町狐穴740 1名

(病死)

江翁寺 岐阜県安八郡輪之内町楡俣新田755 6名

(割腹)

心巌院 岐阜県安八郡輪之内町下大榑13024 1名

(割腹)

大黒寺 京都府京都市伏見区鷹匠町4 平田靱負墓所

(埋葬地)

幕末寺田屋事件で横死した有馬新七らのお墓もあり
大中寺 鹿児島県鹿児島市西千石町6-36 分骨 犠牲者全員を対象

幕府方の墓

竹鼻別院 岐阜県羽島市竹鼻町2803-1 1名

(割腹)

幕府方役人

竹中伝六

霊松院 岐阜県岐阜市岩崎3丁目15-1 1名

(割腹)

幕府方役人

内藤十左衛門

 

人柱の墓

円楽寺 岐阜県安八郡輪之内町大藪1865 1名 桝屋伊兵衛

人柱について

人柱になった桝屋伊兵衛は、養老郡多良の生まれで、江戸の内膳貞住の下人でした。宝暦治水工事が開始されると内膳貞住は幕府方の水奉行として、工事監督にあたりますが水流が激しい箇所で工事の失敗が相次ぎます。これに対し、内膳の下人として工事現場にきていた伊兵衛は、工事が上手くいかないのは水神様の怒りによるものと考え、自分が犠牲(人柱)になることでその怒りを鎮めることができるとし、激流に身を投じたと言われています。

 

※近年の研究では、人柱の話は完全な創作と言われています。

平田靱負最後の地

大巻薩摩工事役館跡 岐阜県養老郡養老町大巻39 平田靱負が自刃した館跡

薩摩義士墓参MAP

地図を大きくしてみたい場合はこちらから→薩摩義士の墓

 

まとめ

如何でしたでしょうか?今回、すべてを巡ることはできなかったのですが、今後も出張の折、なんとか墓参をしていこうと考えています。

 

ちなみに終始タクシーの運転手さんは優しく、裏道によるショートカットもしてくださいました。とてもやさしい場所です。

 

距離や時間、お金の問題でなかなか行けないという方もいらっしゃると思います。鹿児島市内にもお墓はありますし、先人たちの偉業に少しでも想いを持っていただけたら幸いでございます。

 

関連記事

補足

メッセージにて、当記事が『近年、宝暦治水事件の真相について研究されている郷土史家の方から、Twitterで「どうしようもない内容で公害だ!」と、言われている。削除したほうがよいのでは?』と、ご連絡を頂きました。ご心配をして下さりありがとうございます。

 

せっかく頂いたご連絡ですが、当記事ならびに平田靱負像の記事は削除するつもりはございません。その郷土史家の方が、多くの資料、史跡を研究し、宝暦治水事件の見直しを図っている努力は素晴らしいと思います。※当記事も内容に一部補足を入れました。

 

私は、宝暦治水の本当の真実を知りません。なぜなら当時の現場をみていないからです。現場をリアルで見ていない以上、真実は記録を頼るしかありません。さらに記録というものは、歴史において強者の記録となり、組織や個人の主観、意向が働くものです。ですので、現時点で伝えられているすべての歴史は、常に真実なのかはわからないもの。なので、多くの史料から多角的、多面的に研究がされていくのでしょう。

 

ただ、世間一般での認識と、まがりなりにも研究の最前線にいるプロとして活動されている方との認識が違うのは当然ではないでしょうか?プロがいろんな立証と訴求を繰り返すことで、1192年の鎌倉幕府成立が1185年になったり、足利尊氏の肖像画が騎馬武者になったりと、教科書レベル、世間の認識を変えるレベルで歴史認識は変わっています。現時点で、パンフレットや掲示物記載の伝を伝えるのが問題ならば、まずはそちらをどうにかすべきです。

 

その方は、史実とは違う過剰な美談になっている!と、宝暦治水に関して自己の研究認識と違う記事をtwitter上で指摘?されるスタイルのようです。真実を研究することは素晴らしいと思いますが、当記事に込めた私の真実は「当地で多くの薩摩の先人たちが命を落とした事実」に対する慰霊なのです。

 

その慰霊に至る経緯として、現在、最も伝わっている歴史を紹介することは不自然なことではありません。亡くなり方が違う!経緯が違う!ということは大切な論点なのでしょうが、「郷土の先人が縁もゆかりもない土地で亡くなったこと」に対して、慰霊したことを『公害』などといわれるいわれはありません。おそらく今後、宝暦治水の話を聞くたびに、このような言動を受けたことを思い出し不快な気持ちになるでしょう。それが顕彰活動たるものなのでしょうか?

 

しかしながら、ご発言頂いた郷土史家の方の歴史研究が、歴史認識の主軸になれば当記事の内容も変わります。

と、いうことで、せっかくなので当サイトも協力させて頂き、諸々リンクを貼らせていただきます。最新の研究動向にも期待しています。

Twitter

当記事へのご意見

著書

宝暦治水史跡保存会

 

あとこちらの本がおすすめのようです

再補足

その後、郷土史家の方との直接的なやりとりで、以下の資料が史実を知るうえで重要とご推挙いただけました。

宝暦治水工事と〈聖地〉の誕生 羽賀祥二名古屋大学教授

木曽三川流域治水史をめぐる諸問題 秋山晶則岐阜聖徳学園大学教授

・黎明館の内倉昭文学芸部長の寄稿⇒これの詳細がわからなかったのですが、上記二名の先生たちと共に名を連ねていた資料がこちら

 

公害という発言の意図としては、やりとりから以下のような見解ととらえました。

歴史を紹介するには医療と同じように情報の責任がついてまわる!ってところでしょうか(;・∀・)

 

いやいや、いい勉強になりました。ただ、直情的だったり、建設的に理解できなかったりする人には、趣旨を汲み取れない言い方だけは、もったいないと思うんですよねぇ・・

 

本件だけでなく、過去に何度も同じことがあったりしたようで、お怒りはごもっともだとは思いますが、歴史に背景があるように、人にも背景がありますので、すべてを同一視し、ぶん殴るのは違うと思うんですよ。。

 

自分がどうとかじゃないんですが、おそらく今までの同様のやりとりは、言い合いになって喧嘩別れで終了したと思うんです。それが宝暦治水という歴史にいい影響を与えるのか?と

 

知ろうとしない無作為の暴力というのは歴史に対しても人に対しても同じこと

 

2025年までにこの宝暦治水の偽史問題にはケリをつけられるという強い想いをお持ちなので、苛烈になることもあるでしょうが、知見をぶつけるのではなく、教え諭しながら広く伝えていただきたいと切に願います。

 

私も精一杯、先方の言い分を理解しようと考え、Twitterで呟いた見解にいたりましたが、それでも腑に落ちることはありません。個人主観でいきなりぶん殴られるほうはたまらないです。

 

なお、私としては歴史研究がどんなに優れていても、人の心を大切にされない方を評価する気にはなれません。ただ、事の正誤については、お読みいただいた方々の私見にお任せしたいと思います。

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