【湧水町】松尾城(栗野)跡:鹿児島では珍しい野面積みの石垣に感動!朝鮮出兵(文禄の役)で島津義弘公が出陣した城

栗野方面に突発的な用事があり遠征(^_^)ノープランだったので用事を済ませた後に、現地で「なんかないかなー」と探すのは久しぶりで、ちょっとわくわくしてました。これが、再発見!というテーマの楽しみ方。

で、訪ねたのは、湧水町の運動公園となっている「松尾城跡」

松尾城とは

松尾城。またの名を栗野城とも言います。元々は、肝付氏庶流の血筋である北原氏の本拠です。その北原氏が1564年に島津氏に下り、島津家の領地となります。ただ、この時点では簡素な山城だったようです。

そんな松尾城が、現在に残る石垣などが整備されたきっかけが島津義弘公の入場です。

薩摩半島統一。並びに三州統一(薩摩大隅日向)に燃える義弘公の父 貴久公は、1564年 横川城の北原兼親を傘下とし、ほぼ薩摩半島を統一。この前後で松尾城も島津家にくみします。

そして1590年。日向の飯野城から義弘公が移った折、修築させ現在に残る石垣なども積まれたのです。なお、伝聞では、江戸城を築城した大田道灌の子孫である大田武篇之助に命じ造らせたといわれています。

なお、1592年の朝鮮出兵(文禄の役)で義弘公はこの松尾城より出陣したと言われています。その後、1595年帰城した義弘公は、帖佐へと移り住むことになるのです。

現在の松尾城

到着したら城門がお出迎え。近年、綺麗に整備されつつあるようです。

城門

途中、のぼりが立ててあります。この気持ち、よくわかります!!なんとか大河に!切実に思いますね!

石垣

これが本当に素晴らしい!自然石を積む野面積みは鹿児島であまり見ないですし、これだけちゃんと残っているというのが嬉しい!

公園として整備されすぎて手すりと階段の綺麗さが史跡好きだと、ひっかからなくもないですが、安全面や多くの人に見てもらう為には仕方ないかなーと。

本丸枡形虎口。手すりや植え込みがなく、階段が無垢の土壌だったらかなりのリアリティを感じると思いますが。。

本丸跡

本丸跡には碑が立っています。

そして周囲の木々は義弘公お手植えの木といわれています。

景色が良いです(^_^)

二の丸

続けて二の丸へ

こちらは特に碑もなく広場のようになっています。

観光まとめ

近くには遊具のある場所もあり、お子様連れもいらっしゃいました。

また、城山運動公園という名称の通り、そばにはグラウンドや弓道場もあります。

戦国期そのままの石垣を有する城跡。それも義弘公が命じ造られ、過ごされた場所。是非とも訪ねてみてください(^_^)

よかもん君
この石垣は凄いよー!義弘公の姿も見てきたんだろうなー♪

高齢者障害者のための環境情報

トイレ入口はスロープ付きです。

トイレ環境はコチラ

アクセス情報

湧水町の「社会福祉協議会子ども発達支援センターみのり」を目指すと着きます。

地図

現在、Google MAPに申請中です。

 

それではまた(o・・o)/~

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