【日置市】天昌寺跡 島津豊久公墓所:関ヶ原に散った島津家きっての勇将

近年、人気が急上昇した島津家の武将といえば島津豊久公。

その豊久公のお墓が日置市吹上町永吉にあるとのことで訪ねてみました(*´▽`*)

アクセス

日置市日吉町と吹上町を通る国道270号。永吉方面へ案内板があります。

地図

高齢者・介護者向け情報

墓所前まで車で行けますが、そこからは段差があり車いすは困難です。ただし、多機能トイレがあり車いすの方でもトイレは可能。トイレ前まで車を横付けできるのも嬉しい。

島津豊久公とは

天文6年(1547年)島津四兄弟の末弟 島津家久公の嫡男として生誕。
初陣は肥前 龍造寺氏との一大決戦「沖田畷戦い」
この戦いは、父 家久公の活躍もあり大勝利。豊久公も武功をあげます。

これにより島津家の九州平定は、いよいよ現実味を帯びてくるのですが、豊臣秀吉により惜しくもその夢は砕かれてしまいます。

その直後の父家久公急死にともない、豊久公は伯父にあたる義弘公の教育を受け、朝鮮出兵にも従軍。

関ヶ原の際は、佐土原城主でしたが島津義弘公と共に関ヶ原向かいます。

ここで歴史に名高い島津の退き口、捨て奸により、義弘公を生かす為、徳川軍本隊。井伊直正隊、本多忠勝隊、松平忠吉隊を相手に鬼神のごとく奮戦するも、衆寡敵せずついに力尽き討死。

そして、この死はさらなる不幸を招きます。

所領であった佐土原は、戦後処理で無嗣断絶の扱いを受け徳川家より一時的に領地が没収されてしまうのです。

そこで豊久公の遺臣達は、義弘公に働きかけ、永吉の地を授かり移住。
その後、永吉島津家の菩提寺として妙通寺を天昌寺と改称し、豊久公以来、代々の領主及び夫人等の墓となりました。

なお、多宝寺跡、梅天寺跡同様、永吉南郷会や地域の方の努力でその景観は保たれていますが、訪問される方々にも献花や清掃をお願いしたいとのことです。

薩摩島津家と永吉南郷会の活動
参考:http://39-books.com/modules/books/index.php?content_id=107

天昌寺とは

曹洞宗の寺院。初め妙通寺と称し、至徳2年(1385年)に石屋禅師が建立。なお石屋禅師については下記記事をご参照ください。

現在の天昌寺跡

天昌寺跡にいくと、まず、廃仏毀釈により破壊された痛々しい仁王像を目にします。鹿児島の寺跡には多い風景ですがやはり残念。。

続けて、豊久公奮戦の地である岐阜県上石津町による石碑の前を通り過ぎ墓所へ。

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各墓石もさることながら石造の芸術性も高い…

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奥まった場所に豊久公のお墓がある。他とは明らかに違う大きな墓石なのでわかりやすいです。(墓所前には案内板がある)

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また、別途、注目なのは島津久敬公の墓。
久敬公は天璋院篤姫の実兄であり、今和泉島津家から養子に入られた人物。

まさか永吉にお墓があるとは思わなかったので少し驚かされました。

戦国ブームや歴女ブームで前より訪れる人は多くなったらしいですが、やはり平日はほとんどいない。来られる方も県外の方が多いとのこと

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元来、にぎやかにする場所ではないが、多くの鹿児島人に知ってほしい場所であり、訪れて欲しい場所です。

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島津豊久公が主人公の漫画

ドリフターズは、関ヶ原の島津の退き口の最中に異世界に召喚された島津豊久公が活躍する漫画。MBCさんでは、H28年10月から毎週金曜深夜にアニメ放送開始!

それではまた(o・・o)/~

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