史跡 鹿児島の城跡 堂崎城跡:最低でも450年以上前の石階段が残る長島に残る城跡 長島散策をしていたら、またまた気になる場所が出てきた。。 堂崎城跡 長島にも城跡が残っているんだなー と、思い訪ねてみると、なんとなんとちょっぴりワクワクする城跡じゃないですか! ってことで、今回は堂崎城跡のご紹介なのです(*^-^*) この記事を要約すると ・かつて長島氏という一族が治めた堂崎城というのが長島にはあっ... 2019年4月29日
公園 鹿児島の城跡 蒲生城跡(城山公園):かつての城跡は春は緑に包まれ秋は紅葉に染まる静かな場所へ【姶良市蒲生町】 旧蒲生町の県道25号線あたりを走っていると「城山公園」なる案内を見かけます。 あちこちでかつてのお城跡を整備して公園化されているのですが、こちらはまだ訪ねたことがありませんした。せっかくですので次の目的地到着までの隙間時間、ちょっと立ち寄ってみました(^^)/ アクセス 蒲生の中心部からほど近く、県道25号線から城山公... 2018年11月26日
史跡 鹿児島の城跡 【薩摩川内市】入来麓武家屋敷群、清色城跡、寿昌寺跡と春の散策にもってこいの史跡巡り 入来麓は、知覧武家屋敷群や出水武家屋敷群と並ぶ、三大武家屋敷群です。 薩摩の武家屋敷群とは? 江戸時代、薩摩藩は領内を100以上の区画に割り、外城、麓、地頭仮屋という独自の統治システムを構築していました。これは、各地方に地頭職を設け、その地方の軍備や関所を整備し、他国からの入国者に徹底的に備えるためだったと言われていま... 2017年3月22日
史跡 島津義久鹿児島の城跡 富隈城跡:国分発展のきっかけになった島津義久公の隠居 @隼人 霧島市隼人町住吉の浜之市地区 ここには豊臣秀吉の九州征伐後、事実上の隠居に追い込まれた島津義久公が築いた富隈城の跡が残る。 南北250m、東西150m、高さ30m余り 平地の丘の上に屋敷がのっている形で、城の西・東・北側に堀があったといわれているが、戦国期特有の守るための城というよりも、防御面を重視しない屋敷のような城... 2016年8月12日
史跡 島津義弘島津義久島津忠良島津貴久 日置市 伊作亀丸城跡 伊作島津氏居城 【日置市 伊作亀丸城跡 伊作島津氏居城】※高齢者・介護者向け情報あり 伊作島津家。 その歴史は、弘安4年(1281)に薩摩国守護 第3代 島津久経公が次男 久長公に地頭職を譲ったことに始まる。 伊作亀丸城の築城年代は明確ではないが、1340年代 島津久長公が築城したと伝えられており、その後250年間。10代忠良公(日... 2015年7月11日