【南さつま市】竹屋神社:笠沙宮以降の神話と山幸彦の御陵が伝わる地

鹿児島の神話の地を追いかけて南さつま市の神社へ

竹屋神社(南さつま市)

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御祭神

御祭神として
・彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)
・豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
・火照命(ホデリノミコト)
・火闌降命(ホツセリノミコト)
を祭った神社。
豊玉姫命以外は、ニニギノミコトの子供たちであり、豊玉姫命は彦火火出見命の奥さんとなる。

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概要

案内文によると
当社は、最初竹屋ヶ尾のふもと笠沙宮跡のある舞敷野の地にあったものを、祭神御三方の成長されたこの地宮原の地に移されたもので、正確な建立の年月は不明であるが、残されている棟札に応保元年(1161年10月7日造立の文字のあることから、少なくとも今から840年以前のことと思われる。
神社の祭神は
中央本宮「彦火々出見命(又の名を火折命・ホオリノミコト 神話での「山幸彦」)「豊玉姫命」
東宮 「火闌降命(ホツセリノミコト)」
西宮 「火明命(ホアカリノミコト)(又の名を火照命・ホデリノミコト)神話での「海幸彦」)

当社は、加世田郷の総社「鷹屋大明神」として崇められ、藩政時代は島津家から相当の援助を受けていた。明治五年から「竹屋神社」(郷社)に改名されたが、竹屋ヶ尾の山頂にあった「彦火々出見(ヒコホホデミ)神社」を明治42年に合祀して「県社」となったものである。
現在では宮原地区の氏子により維持管理され、毎年の祭典を行っている。
当社の裏山には、「彦火々出見尊」の御陵とも伝えられている「磐境(いわさか)」も保存されている。
となっている。

つまりは、天孫降臨後の笠沙宮から、その後、子供たちを育てた地ということ。

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磐境

また、高屋山稜とは別に「彦火々出見尊」(山幸彦)の御陵とされる磐境が境内裏にあるのも注目点である。

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神社裏のこの地。可愛山稜の時もそうだったのだが(意識しすぎか?)空気が違う。

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管理人は特に霊感だとかそんなものは持ち合わせていないが、土地のパワーというか、なにかしら静けさの中に力を感じる場所というか。。
まあ、個々で変わるかもしれないし、感違いかもしれない。
しかし、土地に残る伝聞と記録は無視できない。同じ南さつま市の竹田神社に比べて知名度は低いが訪れてほしい場所である。

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