鹿児島にある場所ではないですが、ゆかりの地として訪ねた場所の紹介です。

江戸無血開城交渉の地(江戸薩摩藩邸跡)

江戸無血開城とは?

江戸無血開城は、1868年3月14日幕府陸軍総裁の勝海舟と新政府軍参謀の西郷隆盛が会談により、江戸を新政府に引渡すということを決めた出来事です。
単純にこれだけ聞けば、ようは戦争をしないで江戸を明け渡した話なのですが、結構大変なことなんです。特に幕府側にとっては高度かつ難しい選択である意味、江戸が戦火にさらされずに引き渡されたのは奇跡に近いのです。
同年1月の鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府側。その中には、勢いを増し迫りくる新政府軍に一矢報いようと江戸決戦を覚悟する幕臣達も多数いるわけです。
それを、無条件で360年以上続いた本拠地を明け渡すなんて尋常じゃない判断なんです。
ただ、そこは暗殺に来た坂本竜馬ですら惚れ込んでしまった勝海舟(裏では山岡鉄舟の活躍もありますが)すべての責任を背負い西郷さんとの交渉に臨みます。

西郷隆盛と勝海舟

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「徳川家に対して寛大な処置をされるなら、抵抗することなく江戸城を明け渡す。」と。
これに対し以前に勝海舟と面識のあった西郷さん。
「新政府軍と幕府軍による衝突で国が疲弊しては欧米に飲み込まれてしまう」という勝の意志を読み解き、承諾するのです。
実際は、西郷さんと勝海舟による二人だけの会談ではなかったといわれていますが、いずれにしてもこの時のトップ会談が日本の植民地化を防いだといっても過言ではありません。

江戸無血開城交渉の地の現在

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JR田町駅。都営三田線三田駅から徒歩10分圏内。東京都港区芝5丁目33番地8号が旧薩摩藩邸跡であり、江戸無血開城交渉の地となる。現在は写真の通り、三菱自動車本社ビルがあり、ビル正面左手に記念碑がある。薩摩藩邸は現在の三菱自動車の区画だけでなく、その周囲一帯が藩邸だったといわれNEC本社ビルに藩邸跡の碑がある。

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