【日置市 多宝寺跡 伊作島津家 墓所】※高齢者・介護者向け情報あり
今回の写真は「日本の城 写真集」様よりお借りする事ができました。心より御礼申し上げます。
臨済宗の寺院。日置市伊集院にあった広済寺の末寺として建立された伊作島津家の菩提寺である。
他の寺同様、明治2年の廃仏毀釈で廃寺となり、翌年に歴代伊作家当主を祭神とする石亀神社となっている。
梅天寺跡等と同じく、こちらも永吉南郷会や地域の方の努力でその景観は保たれているが、訪問される方々にも献花や清掃をお願いしたいとのこと。
薩摩島津家と永吉南郷会の活動
参考:http://39-books.com/modules/books/index.php?content_id=107
公民館前の駐車スペースに車を止め、坂道を登り石亀神社社殿へ。
ここでは拝殿にある扁額に注目してほしい。
おそらく多宝寺のお堂に掛けてあったと思われるものだからだ。
そして石亀神社参道の横の道。
これが、伊作島津家墓所へと繋がる坂道となる。
江戸時代後期に薩摩藩が編纂した領内の地誌や名所を記した文書である「三国名勝図会」これによると、多宝寺は慶長13年(1608)に洪水で流され、旧記などを全て失ったらしい。その際、伊作島津家墓所も埋まってしまったと考えられ、寛文10年(1670)に島津光久の命で再造されたものが現在に至ると考えられる。
伊作島津家の歴代の墓は忠良公の父善久公までが眠っている。
なぜだかわからないが、実に空気が落ち着いており、荘厳な空間といった感じだ。
また、琉球出兵で大将を務めた樺山久高とその妻の墓。伊作紙漉の元祖牧田甚四郎の墓。多宝寺歴代住職の墓などもある。
吹上から谷山へ繋がる伊作峠への道のすぐそばにあるので、是非、足を止めてほしい。
墓所にいると、廃寺になる前、当時のお寺にいるような不思議な感覚に陥るだろう。
【高齢者・介護者向け情報】
神社前までは車で行けます。ただ、坂道段差が多く手すりなどもないため歩行にはかなりの労力を使います。足元も歩いため十分注意して下さい。
住所: 鹿児島県日置市吹上町中原多宝寺
実際の場所
地図※ナビ設定時は⇒鹿児島県日置市吹上町中原多宝寺