日置市吹上町永吉にある梅天寺跡
元中2(1385)年石屋禅師が建立した妙法寺を、永吉島津氏が梅天寺と改めたとされる。
そこは市営住宅の裏手にあり、駐車場もない。かつてのお寺は鬱蒼とした雑木林に変わっている。
なんとも寂しさを感じてしまうが、墓所は綺麗に管理され、梅天寺跡までの道中には案内板も設置されている。
地元の永吉南郷会によるものらしい。その活動に頭が下がる。※永吉南郷会や地域の方の努力でその景観は保たれていますが、訪問される方々にも献花や清掃をお願いしたいとのことです。
さて、この梅天寺跡には付近の大乗寺跡、天昌寺跡と同様に戦国島津家の名将が眠られている。
永吉島津家初代 島津家久公である。
島津家久公
家久公は島津四兄弟の末弟。
祖父 忠良公 からは「軍法戦術に妙を得たり」と評価されていたとの事だが、沖田畷の戦いや戸次川の戦いでの活躍を考えれば納得の話である。
九州征伐時、豊臣秀長との講和、謁見後に病死した事から毒殺説もあるというが真意は定かではない。
いずれにしても、もう少し生きておられたなら、朝鮮の役や関ヶ原における義弘公の活躍に並ぶ逸話を残していたかもしれない。
そういう意味では、家久公の子である島津豊久公が関ヶ原において奮戦したというのも歴史の妙を感じてしまうのである。
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駐車場はなく、梅天寺跡前に車を停める形になります。梅天寺跡は道路の行き止まりになる為、他の交通の邪魔にはなりません。ただし、帰りは途中までバックで戻る必要があります。車いすは困難で通路もせまいので足元に注意して下さい。。