鹿児島市には南洲翁(西郷隆盛)が過ごした屋敷跡が複数あります。以前に行っていた場所もあったのですが、今回、そのすべてに行く事が出来ましたのでまとめてみました。
鹿児島市に残る西郷隆盛が住んでいた屋敷としては以下の場所があります。
- 加治屋町「西郷隆盛 生誕の地」
- 上之園町「宅地跡」
- 武町「武屋敷跡」
- 西別府町「野屋敷跡」
では、それぞれ御案内します(^_^)
西郷隆盛 生誕の地
加治屋町甲突川沿いにある生誕の地。司馬遼太郎は「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである」と言ったと言われるぐらい、多くの偉人の輩出した場所です。
- 鹿児島中央駅から徒歩で5分
- 駐車場なし(近くにコインパーキングあり)
- 地図⇒西郷隆盛 生誕の地
- 近くの維新ふるさと館に多機能トイレがあります。⇒維新ふるさと館トイレ環境
西郷隆盛 宅地跡
安政2年(1855)から明治2年(1869)まで屋敷となっていた場所です。加治屋町からここに移った背景としては、転居の前々年 祖父、父、母と相次いで失った西郷が、借金返済のために加治屋町の屋敷を売ったことに起因したといわれています。
この場所は、明治44年に鹿児島女子高等学校ができましたが、空襲により焼失。その後、昭和26年に共研公園となり現在は市民の憩いの場となっています。
宅地跡のアクセス情報
- 市営バス:「共研公園前」バス停よりすぐ
- 市電:「鹿児島中央駅前」電停より徒歩約5分
- 駐車場なし(近くにコインパーキングあり)
- 西郷隆盛 宅地跡(共研公園)の地図⇒共研公園
- 共研公園は、多機能トイレがあります。⇒共研公園トイレ環境
西郷隆盛 武家屋敷跡
鹿児島中央駅から徒歩10分ほどでしょうか。西郷公園とも呼ばれている武家屋敷跡。ここが西郷さんの武家屋敷になった経緯としては、明治2年(1869)三崎太左衛門から譲ってもらったという説と、明治3年(1870)に、島津藩の家老である二階堂氏から譲り受けたものという説があるようです。
そして現在は市の公園として保存され、平成3年には、公園内に西郷さんと庄内藩家老 菅実秀の対話像が設置されました。
菅実秀とは?
元庄内藩(山形県)の家老。庄内藩は幕末の折、幕府派であったため官軍の西郷たちとは敵対関係で戦でも敗北してしまいます。ただその際に、 西郷さんのはからいで藩の処罰が寛大になったということがあり、以来、菅実秀は西郷さんを尊敬していたようです。その縁で、明治8年に菅実秀はこの屋敷に西郷を訪ねて来てたといわれています。 その後、菅実秀は「南洲翁遺訓」という本を刊行し西郷さんの偉大さを全国に広めるのです。
現在の武家屋敷跡
案内には当時の屋敷の図も
当時、西郷さんが使っていたとされる井戸はそのまま残っています。
木々がある一方で下記画像の右手は遊具などもあり、親子連れが遊んでいました。やはり西郷さんゆかりの場所には、未来を担う子供たちの存在が似合います(^_^)
先にご紹介した西郷さんと菅実秀の対話像です。
武家屋敷跡のアクセス情報
- 「鹿児島中央駅」より徒歩約10分
- 駐車場なし(近くにコインパーキングあり)
- 西郷隆盛 武家屋敷跡(西郷公園)の地図⇒西郷公園
- 公園へのアプローチはすべて段差約15cmほどの階段数段あり
西郷野屋敷跡
西郷さんがの青年時代、家族も多く困窮していた西郷家を救うために開拓した場所。屋敷とは名ばかりで、6畳、3畳、4畳、2畳(いろり部屋)の田の字形の農事小屋だったといわれています。
武の屋敷とは違い、農業に特化させた生活の場であり、仕事場であったと推測されます。西郷さんが明治10年に出陣した後は、御家族が住まわれていたそうです。
場所は鹿児島実業のすぐそばです。車であれば「鹿児島文化工芸村」の駐車場に車を停めていけます。今回は鹿児島実業の方から行ってみました。その場合、こんな通路を通ります↓
先に進むと。。
碑や案内、そして休憩所が
敷地内は紅葉が散ってました。。タイミングがあえば綺麗だったでしょうね。。
このヤマモモやそばの大名竹は西郷さんが植えたといわれています。
立派です。鹿児島市指定保存樹となっています。樹齢250年の案内がありますが、西郷さんが植えたとするとちょっと年数が合いません。。どちらにしても西郷さんの姿を見守った事があるのは確かでしょう。
広場の奥からは、さらに上に行けるようです。
途中の階段から見るとこんな感じ。
うえはこんな感じです。
ここから鹿児島文化工芸村につながるようです。
西郷野屋敷のアクセス情報
- 南国交通「鹿実高校前バス停留所」より徒歩約3分
- 駐車場あり(鹿児島文化工芸村内)
- 西郷隆盛野屋敷跡(鹿児島文化工芸村)の地図⇒鹿児島文化工芸村
- 通路幅、地面環境から車いすは困難
まとめ
西郷さんの屋敷は形として残っていないものの、どの場所も質素倹約を旨とした生活環境というか雰囲気が伝わってきます。皆さん観光では、終焉の地やお墓に行かれる方が多いようですが、日常の多くを過ごした屋敷跡の雰囲気にも是非触れて頂きたいですね(^_^)
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それではまた(o・・o)/~