島津家初代である島津忠久公の時代、その時領内に七社と称する神社があったといわれています。その中で、指宿の枚聞神社、川内の新田神社に続き、第三社とされた神社が今回ご紹介する「止上神社(とがみじんじゃ)」です。

アクセス

日当山方面から走る県道2号線を北上し、国分重久を通過中、右手に現れる案内板に従い右折し橋を渡ると左手に鳥居がみえてきます。

地図

御祭神と由緒

御祭神と由緒は以下の通り。この地は隼人族との激戦の地であったようですね。

  • 彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)
  • 豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
  • 瓊々杵尊(ニニギノミコト)
  • 木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
  • 葺不合尊(フキアエズノミコト)
  • 玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)

囎唹郡惣鎮守六社大権現と称され、祭神は六座、日向三代の神である。創建の年月は詳らかでないが、社記によれば、景行天皇の御宇日向の隼人が叛き天皇親から征伐された時、六所権現の霊神が大鷹となり擁護を加え、怱ち叛賊を平定されたため、その神霊を崇め祭ったという。往古は今の社殿の東方の尾牟礼という山の絶頂に鎮座され、その山を神体として山上を拝したが、その後今の地に社殿を造建神霊を勧請した。 尾牟礼山上に六箇の石祠があり、止上神鎮座の跡という。また中古まで王の御幸という祭式があって、毎年正月七日神輿を守り下って、同月二十二日に至るまで行廟(四ヶ所)にて種々の神供を献じ祭りを行った。此れは、隼人の霊魂が祟りをなし人民に害を及ぼしたため、当時御幸の式を設けその霊崇を鎮めた大祭である。慶長の中頃までは毎年執行されたが、その後廃されたという。当社の南西には、もう一つの隼人塚と称される森がある。 得仏公(島津忠久公)の時領内に七社と称する神社があり、当社はその第三の神社であった。第一は頴娃開聞社、第二水引新田宮、第三当社、第四国分鹿児島神社、第五霧島社、第六日州佐土原妻萬社、第七都城庄内稲荷社である。此の七社を、得仏公が毎年参詣されたという。

現場レポート

後ろにそびえるのが尾牟礼山ですね。かつては社殿はなくこの山を御神体とされ拝されたとか。。

参道へ。参道の左右には三之社が祀られています。なお、鳥居はかつてはもっと手前のところにあったようです。

左手には末社の宇気母智神と秋葉大権現

手を清めます

拝殿。とても静かです。

本殿。建立された時代はわかりませんが朱の美しい社殿ですね。

今も伝わる神事

由緒に書かれていますが、この止上神社ではかつて「王の御幸」という祭事がありましたが今はなくなってしまいました。一方で、お田植祭や御神幸祭など祭事を次の時代につなげていこうという動きもあります。詳細については下記リンクをご覧ください。

止上神社 神舞保存会

止上神社田之神舞

他、止上神社の祭事でかつて使われていた仮面は霧島市国分郷土館に展示されています。下記の記事ではその仮面に関する案内はありませんが、場所や営業時間、その他の展示物など案内していますので、ご興味のある方は参考にしてください。

まとめ

かつての第三社ですが、前の二社と比べるとだいぶ静かな神社となっています。ただ、正月や祭事の際は今も多くの方が集まる地域の大切な神社になっているのがよくわかります。

個人的には、山に田畑に小川と自然と一体になった雰囲気が素晴らしいな。と感じました。そういった部分も感じながら参拝してみてはいかがでしょうか?

それではまた(o・・o)/~

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