明治日本の産業革命遺産として登録された寺山の炭窯跡に行く途中、南洲翁(西郷隆盛)が開墾したという土地跡に辿りつきました。吉野あたりにあることは知っていたのですが、案内板を見て「ここだったんだ!」とびっくりでした(^_^;)
道のり
南洲翁開墾地跡への道は関係車両以外は通行禁止。なので、まずは寺山ふれあい公園で車を停めます。
車を停めて案内に従い、歩みを進めます。※↑の案内板までいきその先を進むのです(^_^)
こういう史跡を訪ねる時には毎度のことですが、森に囲まれた気持ちの良い道をすすみます。そこそこ整地されてますので足場は良好です。ただ、車いすはつらいでしょうね。。
開墾地跡
やがて、広く開けた場所に辿りつきます。
案内板です。
明治6年に、鹿児島に帰郷した西郷隆盛は明治8年に開墾社をつくり、私学校の生徒たちとこの一帯およそ39ヘクタールを開墾したとのこと。
東郷平八郎筆による記念碑
上の写真の後にある階段の先には東郷平八郎筆の記念碑があります。まさか東郷元帥の筆だとは思わなかったのでびっくりでした!
ちょうどこの記念碑のあたりは寺山私学校があったそうです。
観光まとめ
いくつか石灯籠があったり、池のそばには椅子などもありますので、寺山炭窯跡に向かう小休止にはちょうど良い場所です。すでに紅葉の時期は過ぎていたので紅葉は拝めませんでしたが、池にはもみじの枯葉が多数ありましたので、紅葉時期は綺麗な風景が見れると思います。
それにしても県内あちこち西郷さんの足跡を辿っていますが、本当に多くの野山を訪ね、土仕事や猟をし、土地の方々と交流されていたんだな。。と、感心してしまいます。
西郷さんを知るには、表舞台のきらびやかな活躍だけでなく、こういった場も数多く訪ねることも大事なんですね。。
アクセス情報
- 住所:鹿児島市吉野町
- 駐車場:寺山ふれあい公園
- あいばす:吉野「寺山ふれあい公園」下車すぐ