日置市伊集院町には西郷さんの足跡が今も残ります。ただ、あんまり知られていないんですね。。
まさに知る人ぞ知るといった史跡になってしまっているので、今回クローズアップしてみました。
平野国臣歌碑
「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」
この歌を詠んだのは福岡の志士 平野国臣。平野国臣は、万延元年(1860年)10月僧 月照と共に薩摩入りしました。理由は、西郷隆盛と共に安政の大獄から月照を逃がすためだったと言われています。しかし、幕府に目をつけられるのを恐れた薩摩藩は暗に月照の抹殺を画策。それを悲観した月照と西郷隆盛は錦江湾への入水自殺を図ります。この時、月照と西郷を引き上げ、懸命の蘇生処置を行ったのが平野国臣と言われています。⇒参考記事:月照上人墓所(南洲寺):西郷隆盛菩提寺でもあり薩摩を支えた多くの名士が眠る場所 @南林寺町
結果的に平野は、その後に追放処分となり、有馬新七の生家そばから見える桜島を見て、先の歌を詠み薩摩をあとにしました。
現在は下記のように記念碑が設置されています。
場所は、伊集院の商店街 銀天街の先のトンネルを抜けて橋を渡ってすぐ右手になります。
ちなみにこの記念碑の裏手付近が有馬新七の生家があったと言われています。参考:有馬新七とゆかりの地:志半ばで倒れたが、のちに高く評価された悲運の志士
木々や竹林でここから桜島は見にくくなりました。当日は霞がかかったような空だったのでそれもありますが。。そばの橋からの紅葉は綺麗でした(^_^)
本田兄弟の墓
伊集院 護国神社。日置市のハローワークそばにあります。ここは管理人の実家に近く、お墓もあるので小さいころから通っていた場所です。
この場所には、室町時代前期に伊集院氏6代目当主 久氏の娘の許婚者 渋谷右馬助の菩提を弔うために建立したと言われる円通寺(円通庵?閻通庵?)があったとされています。その為、墓所もそばにあるのです。上の写真で言うと、本社の右手から下りていきます。管理人の父が手すりを作ってますが申し訳程度ですので気をつけてください。
下っていくと昔の墓石などがありますが、今や無残なものです。
形状から代々の住職のお墓と思われますが。。
管理人の家のお墓も含め、近代のお墓もあります。そんな中、綺麗に昔のお墓が並んでいる区画があります。
ここに本田兄弟のお墓があります。
本田兄弟とは?
本田兄弟は、伊集院の名家 犬丈馬場の本田家で生まれました。兄弟の父は西郷隆盛と親交があり、兄弟が慶応三年藩主に随い京都に行く時、西郷から「お前たちが戦死したらは墓はおれが建ててやる」と言って励まされました。その後、二人は鳥羽、伏見の戦いで奮戦した後、越後に転戦。兄親正は病にかかり病院に入院中、砲声のはげしさを聞き病床にあるを偲びず、杖に頼り戦線に出て奮戦中遂に弾丸に当たり戦死。時に26歳。弟親直は村松城の攻撃で、弾丸で傷つき新発田病院で亡くなった。享年22歳。
その報を聞き、西郷は約束通り明治2年8月石工を連れて本田家を訪れ、自分で筆をとって碑文を書き、石工に彫らせ、兄弟の墓を建てた。碑文の後に「隆永」とあるのは西郷隆盛のことです。
この案内の前に兄弟のお墓はあります。奥が兄親正、手前が弟親直のお墓です。
いずれも側面に西郷隆永と確認できます。
おそらくは西郷さんも墓参されたと思われます。こういった約束をしっかり守り、身分などに捉われないところがまた西郷さんらしいと感じさせるお墓です。
そばには現本田家の墓などもあります。鎮魂の気持ちを込めて静かにお参りしましょう。
西郷隆盛書 橋の記念碑
伊集院には二か所、西郷さんが郡方書役の時の書が刻まれた橋の記念碑があります。まず、ひとつは門松歯科さんのそばにある永平橋。
永平橋の碑
力強い文字ですね(^_^)
嘉永3年(1850年)11月29日に着工し、翌1月20日竣工した石造眼鏡橋に伴って作られた碑とのこと。昭和8年にコンクリート製に掛け替えられたとのことで、石橋は残念ながら撤去されてしまいました。。うーーん、残念。。
大渡橋の碑
続けて、太田地区にある大渡橋の碑へ。いざついてみると。。。
おわかりになりますか??
そう!
文字が見えないのです!!!
だいぶ風化してしまったのかなーと落胆してこの日は戻りました。。そして、先日。。
バッチリです!!やはり力強い!!
この日は午前中。影を見て頂けるとわかりますが、日光が文字側に当たっているとくっきり見えます。見に行かれる時は、この点を注意してください。場所は、日新プラスさんという輸入家具屋さんのそばになります。
ちなみにこの二つの橋は、かの有名な鹿児島五大石橋を造った岩永三五郎によるものだったという話です。いやー見たかった。。
観光まとめ
西郷さんに関する文献や歴史書は多数あるわけですが、やはり地域にある西郷さんの足跡に触れるというのも、本質的に西郷さんを知る事だと思います。
偉人でこれだけ地域に伝承や伝聞がある方も珍しいです。いつも身分に関係なく、住民と共にいた西郷さん。だからこそ愛され続けているのだと感じました。
それではまた(o・・o)/~