明治10(1877)年9月24日
西郷隆盛以下薩軍は全滅。これにより西南戦争が終結。
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まずは歴史を振り返る。。
西南戦争のあと
西南戦争終結後、時の鹿児島県令(知事)大山綱良は、西郷らに加担した罪を問われ処刑。
これにより明治政府より新県令岩村通俊が鹿児島に赴任。岩村は土佐藩出身ながら、西南戦争により荒廃、疲弊した鹿児島の再建にのりだす。
その第一歩は、敵味方にわかれて戦った西郷隆盛らの遺体を鹿児島市内5か所に仮埋葬することからはじまった。
南洲墓地へ
明治12(1879)年には有志らによって現在の南洲墓地にまとめて改葬され、さらに九州各地に散在していた西郷軍の遺骨も集められ、合計2023名が眠る「南洲墓地」となった。墓地には、連日、西郷らの遺徳を偲び多くの人が訪れたという。
そして、明治13(1880)年、南洲墓地の隣に参拝所が設けられ、大正11年6月28日には「南洲神社」として無格社に認定される。
太平洋戦争により「南洲神社」は昭和20年に焼失したが、昭和25年9月に再建。
昭和53(1978)年には墓地隣に西郷南洲顕彰館が建設され、西郷らの功績を今に伝えている場所でもある。
「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがままに 果てし君かな」
かの勝海舟が西郷を想い詠んだ歌。
私学生が立ち上がった際、無関係を決め込めばこういうことにはならなかったかもしれない。
ただ、そこで立ち上がるのが西郷隆盛。その悲しさ、もしくは行動への尊敬が詠まれている気がする。
現在の南洲墓地
ここからは現在の南洲墓地。
鳥居の向こうに西郷さんたちは眠っておられます。
向かって正面が西郷さん。左が桐野利秋。右が篠原国幹のお墓になります。
よく手入れがされており、老若男女いろんな方が来られておりました。
桜島や錦江湾を望む2023名の墓石
当然、この中には別府晋介や村田新八、大山綱良のお墓もあります。あまりにも有名な場所ですが、地元が故に訪れた事がない方もいらっしゃるのではないでしょうか?
是非、郷土の英雄、そして最後の武士たちに会いに行ってみてください。
住所
鹿児島市上竜尾町2番地1号
アクセス
・カゴシマシティビュー「西郷南洲公園入口」下車、徒歩6分
・鹿児島中央駅から市営バスで25分「竪馬場通り」下車、徒歩5分
西郷南洲顕彰館についてはコチラへ
高齢者、障害者のための環境情報
階段が複数あり。トイレ環境を含めた詳細についてはコチラへ