島津家の庭園と言えば仙巌園。
県内外問わず知名度が高いわけですが、市内中心部にも島津家の庭園があるのをご存知でしょうか??
それが「旧島津氏玉里邸庭園」です。
・太平洋戦争で建物のほとんどは消失
・茶室・黒門・長屋門は現存
・四季折々の庭園の美しさを堪能できる(無料)
旧島津氏玉里邸庭園の詳細情報
まずは場所や営業時間、アクセス方法などをご案内します。
住所
鹿児島市玉里町玉里町27番20号
TEL
管理事務所(099-222-2627)
営業時間
9:00~17:00
定休日
火曜日(休日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日~1月1日)
高齢者、障害者のための環境情報
駐車場から黒門までのアプローチは登り坂と信号があり。
黒門からは段差や傾斜ばかりで車いすは困難。ただし、裏手に茶室に通じる門があるため、そこからは入れる可能性あり。くわしくは管理事務所に問い合わせを。
トイレ
左L字手すりとなっているが、トイレットペーパーホルダーの位置がやや前で使いづらいかもしれない。
駐車場の場所
地図
旧島津氏玉里邸庭園の歴史
この庭園は、島津家第27代当主島津斉興公が天保6(1835)年に造営した庭園で、明治10(1877)年の西南戦争で焼失しましたが、その後、島津久光公により再建されました。
しかし、戦禍の波はさらに襲い掛かり、昭和20(1945)年の太平洋戦争によって茶室、長屋門、黒門を残して建造物は焼失してしまいます。※玉里邸周囲は昔、陸軍歩兵第45連隊の練兵場があったとのことで空襲も苛烈だったのかもしれません。
戦後、昭和34(1959)年に邸宅跡と上御庭の一部を使い鹿児島市立鹿児島女子高等学校移転。
そして、平成19(2007)年には、上御庭および下御庭が国指定名勝となったのです。
旧島津氏玉里邸庭園の現在
現在は、鹿児島市の管轄で維持管理されており、入場料はなんと無料となっております。
ところが、知名度が低いためでしょうか。入場者は一日20人ほどとのこと(多い日で100人ほど.雨の日は皆無。。)
訪ねた日は夏真っ盛りの午後。鹿児島市内は36°という酷暑でしたが、庭園の木陰の涼しさを体感する事が出来ました。
以下、当日のレポートを(^_^)
黒門
まずは焼失を免れた黒門
この黒門は島津久光公が亡くなられ、鹿児島で国葬となった際に造られています。久光公死去からわずか12日ほどで門を作り、門前にあった田んぼも同じ日数で国葬用に道路にしてしまったという驚きの場所でもあります。門の瓦の四方には、桃があしらわれており、中国や琉球の魔除けの文化がみられます。
国葬道路
門前から見た国葬道路。この先は国道三号線になります。当時はこの国葬道路から福昌寺へ久光公の遺体を移送したようです。
参考記事⇒福昌寺跡
石敢當
門を入ると石垣にぶつかるのですが、そこにある「石敢當」の文字。石敢當とは、中国発祥のもので丁字路や三叉路などの突き当たりにあることで魔除けになるといわれています。
ではではさらに中に入っていきます(^_^)
庭園の様子
美しい庭園の様子
茶室
太平洋戦争の戦禍を免れた茶室を中心に
水道高枡
江戸時代の水道施設である玉里水道の水道高枡。今はセンサーで水が出るようになってます。
巨石
元は錦江湾の海岸にあったと思われる岩を53個に分割して運び込まれた巨石
茶室は有料で貸し出しているみたいですし、定期的に催し物もされているそうです。
国葬もあったこれだけの場所。もっと知ってほしいところです。