【日置市 伊作亀丸城跡 伊作島津氏居城】※高齢者・介護者向け情報あり
伊作島津家。
その歴史は、弘安4年(1281)に薩摩国守護 第3代 島津久経公が次男 久長公に地頭職を譲ったことに始まる。
伊作亀丸城の築城年代は明確ではないが、1340年代 島津久長公が築城したと伝えられており、その後250年間。10代忠良公(日新斉)に渡って伊作島津氏の居城となる。
歴史好きにとっては言わずもがなだが、忠良公は「島津氏中興の祖」である。
忠良公は、嫡子である貴久公と共に南薩を中心に勢力を拡大。その勢いで天文19年(1550)鹿児島入りする。
その際、新たに内城(場所:現・大龍小学校)を築いて貴久公はこれを本城とし戦国大名へと歩を進めた。
尚、忠良公の4人の優秀な孫(義久公・義弘公・歳久公・家久公)も、伊作城で生まれており、善久公・忠良公・忠将公・尚久公と共に誕生石も残っている。
さて、実際の伊作亀丸城趾だが、多くの土塁、曲輪が残された山城趾である。
メインの本丸跡にのぼると広い空間が広がり、案内、記念碑、誕生石などを拝む事ができる。
そこは、貴久公こそ生まれておられないものの(※貴久公は田布施城で生誕)戦国島津を築き上げた多くの名将が生を受けた場所である。
そんな事を本丸跡でぼんやり考えていたら、なぜか武者ぶるいがした。
なにやら、人生において困難に負けない力を与えてくれるような気がしたからだ。
気のせいと笑われてもいい。
ただ、信じても信じなくても一緒なら信じる方が夢があっていいし、そう感じたんだからいいじゃないか。
皆さんが訪れた時は何を感じるだろうか?
できれば訪れる際は、戦国島津氏について学んでから登城すると感じ方も大きく変わるだろう。
この名君、名将達がいなければ幕末の薩摩藩もなかったのだから。
【高齢者・介護者向け情報】
駐車場こそ広いものの亀丸城(本丸)はもちろん、「山之城」・「東之城」・「蔵之城」・「西之城」などの曲輪群も含め、段差昇降が激しく、かなりの体力が必要。なお、トイレはあるが車いすには対応していない。
住所:日置市吹上町中原3471