ぽっかりと予定が空いた休日。近くにいるからこそ「いつか行こう」と先延ばしにしていた指宿市今和泉へついに出発。篤姫ゆかりの地 駐車場に車を停め、朝から散策開始です。
指宿市 今和泉散策
今和泉島津屋敷跡
まずは、江戸時代に整備された町割を通り、今和泉島津屋敷跡の石垣へ。
今和泉島津家の屋敷跡はそのまま小学校になっているため、手水鉢や井戸跡は見学は断念。※校内で台帳に記名して中を見学することもできるそうです。
於一像
レプリカの手水鉢と於一(篤姫幼少期)像がある場所でしばし休憩。
地元の方々、もしくは行政の方々でしょうか。もくもくとゴミを拾われていました。
孝女「袈裟子」の碑
その後、今和泉公民館前の孝女「袈裟子」の碑へ
説明文によると
「袈裟子は1780年、岩本字高目浦で生まれた。妹を早くに亡くし、一人で父母の世話をした。母は71歳で死去。父も次第に手や足が不自由になり87歳でこの世を去る。袈裟子は生まれつき口が不自由であったが、苦しい生活の中で昼は仕事に励み、夜は寝ずの看病をするなど、至れり尽くせりの世話をした。そこで2代、3代の今和泉島津家領主はその孝養を褒め称え、袈裟子が51歳で亡くなるまで金銭と米を賜った。また、4代領主はその善行を石に刻んで、生誕地に碑を建てたのである。その後百年を経て、当時の記録も碑も姿を消してしまったのでここに建立する。」
とのこと。どうも昭和7年に再建されたものだそうですが、親を敬う精神に見習うべきものを感じました。。
豊玉媛神社
さて続けて、その先の踏切を渡り、通称「デメジンサー」と呼ばれている豊玉媛神社へ。
元禄8年(1695)に制作されたものですが、今和泉島津家の菩提寺である光台寺に宝暦7年(1757)に寄贈。ところが明治2年の廃仏毀釈に伴い破壊されてしまいます。それが、民家の石垣で見つかり、指宿市の考古博物館で復元し、2007年、250年ぶりに豊玉媛神社に戻ってきたというものです。実に田舎らしい風情のある神社です。
今和泉島津家墓所
最後は、今和泉島津家墓所。※H28年9月の台風16号で倒木による被害あり
ここには、今和泉島津家初代の忠郷公から5代忠剛公(篤姫の父)忠冬公(篤姫の兄)までの6代の殿様と奥方などが埋葬されています。
墓石灯籠も見事ですが、石畳もしっかりしています。
※途中、光台寺跡や田の神様(たのかんさあ)がありましたが撮影し損ねました。。申し訳ありません。
すべて歩いて1時間半かからないぐらいでしょうか。。良い運動にもなります(^_^)
近年、まち歩きの推進を行政やNPO主体でされていますが、これってやっぱり素晴らしいです。
健康のために歩くより、観光や見たいものなど(目的)のために歩いたほうが、楽しいですし、いつの間にかたくさん歩いちゃいます。
そういった意味で、今和泉はとてもよいコースです(^_^)
歩いて、見て回って、梅里さんで食事して、温泉で疲れをとって帰る。。
1日でできる立派な旅行です。お出かけの参考にしていただけたら幸いです。