シリーズ鹿児島の銅像を巡る~vol.5~
五代友厚の歴史
1836年12月26日鹿児島城下の城谷に生まれる。
他の薩摩の偉人同様に幼少のころより、城下で多くを学ぶ。
14歳の時、島津斉興公がポルトガル人から入手した世界地図の世界地図の複写を父に命じられ、複写を二部制作した。
そのうち二部は藩主に献上し、残りの一部は地球儀を作り、生涯身近なところに置いたという。
早くから世界に目を向けていたことが分かるエピソード。
西欧列強の圧迫が強まる動乱の中、「男児志を立てるは、まさにこの時にあり」という手紙の記述もあり、その後の活躍も納得だ。
薩英戦争では、イギリス軍の捕虜となった点から藩に冷遇されながらも、その後信頼を回復し、欧州との独自ルートで近代兵器を薩摩に多数導入。明治維新の陰の功労者となる。
その活躍が認められ明治政府でも外交面を中心に活躍していたのだが、政策に対する薩摩藩武断派の反発により政府を去ることとなった。
ところが落ち目があると、それを倍返しするように活躍するのが五代友厚。
日本で初めての英和辞書を刊行したことを皮切りに、明治政府とのパイプも活かし、硬貨の信用度を高め、鉱山、紡績、製塩、製藍など各種産業を発展させる。
さらには、大阪株式取引所(現大阪証券取引所)大阪商法会議所(現大阪商工会議所)を設立。他にも物流などの事業も手掛けた。
場所、仕事、立場を変えても多くの実績を残す。
問題解決能力が高く、あらゆる問題に向き合い突破する胆力のある人物だったのがよくわかる。
五代友厚の銅像
そんな五代友厚の像は、西郷隆盛像からまっすぐ北埠頭へ伸びた道の途中、泉町にある。
朝ドラの影響で来訪者が増えたというのは本当で「鹿児島市にある五代友厚の銅像が「あさが来た」効果で人気らしいけど疑わしいから確認してきた結果・・・!」という現地レポートもあるようだ。
朝ドラのことは、私もわからないが、素晴らしく凛々しい表情と構えであり、武士としての剛胆さを内に秘めた切れ者という印象が残る。
「士魂商才」まさに五代友厚をあらわした言葉である。
住所
鹿児島県鹿児島市泉町 泉公園
地図
大阪証券取引所前の五代友厚像
五代友厚像は、大阪証券取引所前と大阪商工会議所、そして光世証券前にもある。今回、出張の隙間時間で大阪証券取引所前の像を訪ねることができた。
市営地下鉄 北浜駅よりすぐの場所にある
鹿児島の像より大きいが、やはり”よかにせどん”である。。
アクセス
- 住所:大阪市中央区北浜1-8-16
- 京阪電車「北浜駅」徒歩0分
- 大阪市営地下鉄・堺筋線「北浜駅」徒歩0分
- 京阪電車・中之島線「なにわ橋駅」徒歩1分
地図
五代友厚のお墓
五代友厚のお墓は阿倍野区の大阪市営南霊園 阿倍野墓地にある。
最寄駅は谷町線「阿倍野駅」の⑥番出口が最も近い
墓地に入り、中央付近を目指す。すると途中に明らかに抜きんでた存在感を示す場所が。。
妻 豊子のお墓もそばに
アクセス
- 住所:大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19-115
- 谷町線「阿倍野駅」下車徒歩2分
- 阪堺電車「阿倍野駅」下車徒歩4分
- JR天王寺駅下車、徒歩15分
- 地下鉄御堂筋線「天王寺駅」下車、徒歩15分
- 近鉄南大阪線「阿倍野橋駅」下車、徒歩15分
地図