笠狭宮伝説が残る地へ伺いました。
宮ノ山遺跡
標高240m。笠沙宮ノ山には、ニニギノミコトが初めての宮居である笠狭宮を定めたところという説がある。
概要
以下、【笠沙宮跡案内図の宮ノ山由緒】より
皇孫ニニギノミコトが宮居を定めるべき地を探し求めて吾多の長屋の笠沙の御前においでになり、塩土の翁から領地の献上を受けられ「ここは韓国に向かい、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、いとよきところ。」といたく気に入られ、ここに宮居を定められた神代笠沙宮の古址と伝えられている。
古事記、日本書紀によりますとニニギノミコトはあるときに笠沙の御前で麗しき美人い出会いその名をたずねると大山津見神の娘で神阿多都姫またの名をコノハナサクヤヒメといい、この姫を妃に迎えることになります。やがて二人の間には3人の皇子が誕生し、長子は火照命といい隼人の阿多君の祖となり、末子は火遠理命またの名を天津日高日子穂穂手見命といい天皇家の祖となったと伝えられており、ここ宮ノ山は皇孫発生の大ロマンの可能性を秘めた実に神聖で由緒ある地とされています。
宮ノ山へ
巨石を重ねたドルメンと呼ばれる墳墓。割り石を積みあげた住居跡と思われる積石塚などが点在。
南さつま市加世田の笠狭宮跡と双璧をなすニニギノミコトの宮居説。
火のないところに煙は立たず。
どちらもなにかしらの場所であるのは間違いない。
宮ノ山遺跡の落ち着いた雰囲気、かつてここで過ごした人々の遺構が迎えてくれる神聖な場所。
笠沙に行く際は是非、足を運んでもらいたい。
高齢者・障害者向け環境情報
滑りにくい靴。トレッキングポール、飲水用の水などあったほうが安心。山中は通路の整備がされてはいるが、途中、足場が悪いところもあり足腰に自信がなければ無理はしないほうが良い。
地図