西郷隆盛(南洲翁)御座石・手洗鉢:吹上の山奥に西郷どんの軌跡があった

平成30年は、明治維新より150年ということで鹿児島も県や市を上げてPRしたり、山口県や萩市との連携を強化したりと頑張っています。
どうしても、鹿児島市内近辺が話題の主になってしまうのですが、それ以外の土地にも幕末、特に西郷さんゆかりの地のいうのは点在しております。
そこで今回は、吹上坊野地区に伝わる西郷さんゆかりの地の紹介です。

西郷隆盛(南洲翁)御座石・手洗鉢

西郷隆盛作 手洗鉢

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まずは、旧坊野小学校脇道の先にある西郷さん作の「手洗鉢」これは、地元で「西郷殿屋敷」と呼ばれる場所にあります(現在は全く無関係の廃屋がある)※「西郷殿屋敷」については、写真の吹上町教育委員会による説明を参考にしてください。

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お世話になった家族のために土地を買い、宅地化し、建築費まで送るとは。。剛毅なお方です。そして、自ら手洗鉢まで。。
新政府の中枢におられた方が村人に溶け込んで過ごされる。時代背景を考えるとすごいことですね。
これは、「御座石」にも言えます。

西郷隆盛 御座石

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御座石の説明文にはこのように書かれています。
「西郷隆盛は、明治7年(1874年頃)たびたび坊野を訪れ、猪狩りや散策を楽しんでいる。「西郷殿屋敷」を建て。「手洗い鉢」を造り、今も残っている。「西郷さんが近くの山で猪狩りをした後、この石にあぐらをかいて座り休んでいるとたくさんの村人が集まってきた」「西郷さんは、猪狩りや魚釣り、東京や鹿児島の話をし、村人は聞くのが楽しみでした」との古老の話が残っている。明治10年(1877年)西南の役の初期には、イト夫人ら家族十数名が坊野仁太氏宅に一次避難されていた。このように坊野は、西郷隆盛ゆかりの地と言える。日置市坊野地区公民館」

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その土地その土地で、住民たちと交流した西郷さん。
だからこそ今も各地にゆかりの地、ゆかりの温泉が伝わっているのでしょうし、鹿児島県民に愛されているのでしょう。
西郷さんのお人柄にふれるなら、むしろ各地域をまわるほうが良いのでは?そう感じさせられる場所でした。

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高齢者・障害者向け環境情報

手洗鉢

「西郷殿屋敷」そばで路肩に車を停め、車一台分の幅の坂道を登ります。手すりなどはありません。

御座石

黒川洞穴と伊作峠をつなぐ道沿いに案内看板があります。案内看板から舗装のない切り開かれた道を下り、林の中にあります。地元で整備をされてはいますが、足元には十分お気を付けください

地図

手洗鉢

御座石

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