島津日新公修行の地「海蔵院」跡と伊作太鼓踊りが奉納される南方神社

伊作島津家という分家の出ながら、その聡明さで島津家の混乱を収束させ、三州統一、九州制覇への躍進、明治期まで繋がる島津家の礎を築いた島津家中興の祖「島津日新(忠良)公」

 

幼児期に暴れん坊だった日新公は、母常盤により伊作亀丸城の川向いにある「真言宗海蔵院」の8代住職頼増に預けられ、厳しい教育を受けることになります。

 

その裏には当時の伊作島津家の危機的状況と、その対応に奔走した母常盤の思慮深さが伺えます。

伊作島津家の危機

日新公の父善久公は、日新公2歳の時に馬の世話をめぐり下男に殺されてしまい、続けてその6年後には舅であった久逸公も戦死してしまいます。

 

これにより日新公は8歳で伊作島津家当主となるわけですが、海蔵院に預けられてまだ一年。周辺の豪族からとても当主として家を守れる状態ではありません。

母常盤の決断と伊作相州の統一

そんな状況下、近隣の田布施地区を統治していた相州島津家の当主運久公より、未亡人であった常盤に婚姻の申し込みが届きます。しばらくは断り続けましたが、子の日新公を相州家の跡取りにすることを条件に承諾。

これにより相州家と伊作家をまとめた形となり、常盤は危機的状況から家を守ることに成功します。その後、日新公は21歳で義父運久公から家督を譲り受け、伊作亀丸城、田布施亀ヶ城を拠点に善政をしき、その名声が高まっていくのです。

父善久公と母常盤の墓

伊作亀丸城跡の近くにある多宝寺跡。ここに父善久公や母常盤など伊作島津家ゆかりの方々のお墓があります。以前に伺ったことがあるのですが、前述した歴史的背景を知らずに訪れたのでお参りの重みが軽かった気がします。なので再訪しようと思っています。

海蔵院と日新柱

暴れる、勉強をさぼるなどが目に余った幼少期の日新公に対し、始末に困った頼増は泣き叫ぶ日新公を寺の柱に縛り付け罰したことがあるそうです。その話を聞いた常盤は、「それは良き師を得たものだ」と涙ながらに喜んだといいます。

 

この時の柱は、日新柱と呼ばれ大切にされていましたが、海蔵院が火事を起こした際、共に焼失してしまったそうです。その後、海蔵院再建の折、日新公が縛られた位置にあった柱を日新柱と称し、薩摩藩の歴代藩主はこの柱に接し修養の戒めにしたといわれています。

 

この日新柱は今も伊作小学校で大切に保管されているそうです。

現在の海蔵院跡

そんな歴史を振り返りながら訪れた海蔵院跡。かつての門跡には当時の仁王像が(;・∀・)

参道

海蔵院の先には当時から変わらず、神社がありますのでその鳥居が仁王像の後ろにそびえます。。

上下が切れているのは廃仏毀釈の折、切られ、下半身部分を橋の土台に使われていたからだそう。。※いろんな背景があったこととはいえ、なんてことするんや。。とため息が出ます。。

参道がものすごく長い。。

振り返ると

最盛期には12の坊舎があったと言われていますが、今は空き地が広がっています。。参道をしばらく歩いて右手に案内がみえてきました。

日新公学問所跡

碑と案内板、そして駐車場と畑

この奥の林の向こうが住職の墓地になります。

歴代住職墓地

みえてきました。。まずは手を合わせます。。

破壊の跡が痛々しい。。

かなり調べられながら整備したのでしょう。。それでも日新公が師事した8代住職頼増のお墓の特定には至らなかったようです。。

 

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ちなみにこの海蔵院跡から吹上温泉方向への山の斜面に神護石があります。

南方神社(旧諏訪神社)と伊作太鼓踊り

海蔵院の先には、南方神社がありますが、県内に点在する南方神社は元は諏訪神社と言われています。

 

その理由として、島津家初代である忠久公は、元々、諏訪太田庄の地頭職であり、承久の乱の出陣に際し、地元である諏訪大社に戦勝祈願をし、武勲を挙げたと言われています。これにあやかり県内各地、特に城下町を中心に諏訪神社が祀られたようです。

伊作太鼓踊り

伊作太鼓踊りは吹上町に伝わる民俗芸能で,県の無形民俗文化財に指定されています。

 

その由来には諸説ありますが。応永13(1406)年に、伊作島津家4代当主の久義公が、田布施郷の二階堂氏を降伏させた際に戦勝の踊りとして考案されたと伝えられています。

 

その後、日新公が加世田別府城を攻略したときに南方神社(当時の諏訪神社)に踊りを奉納するようになったといわれています。

 

その500年の伝統は、今も毎年8/28日に神社への奉納踊りとして伝えられています。

現在の南方神社(旧諏訪神社)

参道から古き良き日本の神社という佇まい。。

下の図は三国名勝図会の海蔵院ですが、左上に諏訪社と稲荷の文字が

日新公の時代と変わらず、同じ場所にお稲荷様も共に祀られています。

中央の盛り土の部分で、伊作太鼓踊りが奉納されるそうです。

御神木

独特の雰囲気が漂います。。

まとめ

管理人は歴史好きなので、いろんな想いを持ちながらのお参りとなりましたが、歴史に造詣がなくても、この地が持つ不思議な空気感、古くからある心が落ち着く場所のような感じというか。。そういったものを感じてほしいと思います。

 

無論、日新公の功績を学べば学ぶほど、聖地としての重みが増しますよ♪(^^)/

 

地図

 

それではまた(o・・o)/~

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