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鹿児島市南林寺町。この由来はこの地にあった南林寺に由来する。現在、この地に南林寺は存在しないが安政の大獄から逃れた尊皇攘夷派の僧侶「月照上人」の墓、ならびに西郷隆盛の菩提寺でもある南洲寺がある。今回はその南洲寺や月照上人について現地レポートを含め触れてみたい。

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南林寺とは

まずは南洲寺の前に地名の由来となった「南林寺」について説明しておきたい。南林寺は、弘治3年(1557年)島津家15代当主 島津貴久公によって福昌寺末寺として建立された。その後、島津貴久公菩提寺となる。ところが、明治2年(1869年)の廃仏毀釈により廃寺となり、跡地に島津貴久公を祭神とする松原神社が建立され今に至る。

この時、墓地はそのまま市民墓地として供用されたが、大正8年に市街地拡大に伴い墓地は撤去され、ほとんどの墓石は草牟田墓地、郡元墓地などに移転されたが、無縁墳墓が3000基以上あり、そのうち名士のものだけを「南林寺由緒墓」として南洲寺に残っているのだ。

月照上人とは

月照上人は、文化10年(1813年)大坂で町医者の長男として生まれ、その後、叔父の伝手で京都清水寺成就院に入り、のちに住職となる。成就院は近衛家の祈願寺であり、近衛家と島津家が姻戚関係であったことから、月照は薩摩藩士たちと交流する機会は多かったようだ。

井伊直弼が大老になるとその政策に異を唱え、薩摩藩と同調。勤王、反幕的な立場を鮮明にするようになった。

そんな混乱期に島津斉彬公が死去。後追いをしようとする西郷隆盛を月照は必死に説得し、殉死を思いとどまらせたという。

ところが同時期に井伊直弼による安政の大獄が始まり、月照にも幕府の手が伸びる。これを察知した月照は鹿児島に逃れたが、薩摩藩は幕府の追及を逃れるため月照の受け入れを拒否。日向への追放を命じる。(この時代の日向追放は道中で切り捨てられる事を意味したといわれている)

この対応や前途に悲観した西郷は月照と共に錦江湾の竜ヶ水沖で入水自殺を図り、その際に月照は死亡。西郷は平野国臣によって助けられ奇跡的に蘇生するのである。

偶然かもしれないが月照は西郷を二度助けたのでは?と考えている。一回目は殉死を思いとどまらせた時。そして二回目が入水の時だ。その後の西郷の活躍を考えるとこういった妄想もまた気持ちを高ぶらせる。

月照上人の墓と南洲寺

南洲寺は、1876年(明治9年)旧南林寺の一角に建立された寺で西郷隆盛の菩提寺となる。この敷地内に月照上人のお墓がある。

月照 墓

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西郷隆盛 月照

静かにただ、静かに眠られています。墓参した時には心地よい風が吹いてきました。そして寺の中には多くの仏様や菩薩様、仁王様たちが並ばれています。

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どんぐりが乗っている仁王様。すこしおちゃめな感じがします(^_^)

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この石祠は大きかった。今まで見た事のない大きさです。

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南林寺の無縁仏

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南洲寺のすぐ隣にある墓地。ここには以下の方々のお墓がある。※wikipediaより

1列目

  • 愛甲喜春 学者、島津光久家庭教師(志布志町に鹿児島県指定文化財の本墓有り)
  • 安藤今三郎
  • 井上新右衛門
  • 徳田小藤次 藩士・兵法家、安永5年に奄美大島に島流し。
  • 山田翠亭
  • 赤塚源六 藩士・海軍創設功労者
  • 河野浄助 戊辰戦争戦死者
  • 戸次彦之助 福岡藩士・脱藩後、客死。
  • 橋口与三次兼明
  • 児玉金鱗 儒学者
  • 清水源左衛門 藩士・近思録党の主要人物。近思録崩れで切腹。
  • 祐中
  • 宮原主水正正清 刀工
  • 薬丸刑部左衛門入道如水 剣術家
  • 吉田長清 吉田大蔵子息
  • 細田四郎兵衛 剣術家

2列目

  • 阪本清彦
  • 雨的
  • 宮下文蟻
  • 阿曽美久永 戊辰戦争戦死者
  • 橋口与助 戊辰戦争戦死者
  • 岩下半之助 戊辰戦争戦死者
  • 森山新五左衛門永治(尊王攘夷派の志士、森山永賀の息子。寺田屋事件で藩主の使者に抵抗したとして死罪となり切腹)
  • 篠崎彦十郎橘伸苗(島津斉彬の側役である名越彦太夫高房の次男。薩摩藩江戸藩邸留守居役。慶応3年12月25日 (旧暦)、江戸幕府の命により庄内藩が藩邸を襲撃し戦死。)
  • 迫田太次右衛門(戒名「風松堂清山涼心居士」、薩摩藩郡奉行。西郷隆盛の上司であり、不作時でも年貢取り立てを手加減しないようにするとした酷薄な藩の政策と対立して辞職した。)
  • 山本正誼(藩士・造士館初代教授、『島津国史』編者。近思録崩れに巻き込まれ、その一部始終を「文化朋党実録」として残す。)
  • 宮原清右衛門正行
  • 東郷実羔
  • 猪谷徳蔵
  • 東郷実行、藩士・日置流弓術師範。
  • 東郷重張、藩士・日置流弓術師範。実行先祖。
  • 平田翠屏、藩士・諱は宗高。
  • 坂本廉四郎清東 剣術家

3列目

  • 美玉三平 生野の変で平野国臣と挙兵したが失敗し戦死。
  • 後醍院真柱 国学者・吉備津神社宮司
  • 入佐助八 戊辰戦争戦死者
  • 二階堂右八郎 戊辰戦争戦死者
  • 伊地知愛四郎 戊辰戦争戦死者
  • 森山新蔵平永賀(幕末の西郷隆盛派の藩士。島津久光と対立し山川港の船中に軟禁される。その後寺田屋事件で息子が死んだことを知り、自刃。)
  • 吉村遍宜 医者
  • 末川久救 藩士・垂水島津家次男家の末川家祖、島津重豪母方叔父。
  • 森元貞興
  • 森元貞謙
  • 森元貊
  • 平瀬一? 藩士・平瀬治右衛門のこと
  • 某 無銘
  • 平田大監物 藩士・薩摩藩の水野流居合師範の祖。
  • 入田養徳

4列目

  • 加藤清風 藩士・天真流[2]。
  • 松恵丸慰霊墓
  • 加賀武兵衛
  • 志賀親
  • 薬丸半左衛門 藩士・剣術家、薬丸自顕流師範。大山綱良らの師匠。
  • 山之内次郎 戊辰戦争戦死者
  • 東郷愛之進實古 薩摩藩英国留学生の一人で、戊辰戦争で戦死。
  • 指宿五左衛門平永健(示現流剣士。八月十八日の政変後、七卿落ちで福岡にいた五卿を京都へ送る警護の途中、大坂で襲撃され奮戦の末、戦死。)
  • 橋口傳蔵伴兼備 尊王攘夷派の志士、寺田屋事件で死去。
  • 橋口与三次兼甫
  • 橋口杏庵
  • 小倉喜藤太 金山奉行
  • 児玉図南 儒学者
  • 薬丸刑部左衛門・剣術家
  • 東郷長左衛門・薩摩藩日置流弓術師範の祖。重張の伯父にして養父
  • 柏木源藤

とても綺麗にされています。

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歴史の教科書に出るほどではないけれども薩摩を支えた名士たち。しっかり手を合わせます。。

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不動明王像

最期に、南洲寺には境内の一角に不動堂があります。そこには平安時代末期の作といわれる不動明王像が祀られています。※県指定文化財

この不動明王像はもともと鹿児島郡伊敷村(現鹿児島市伊敷町)の不動堂にあったものらしいですが、廃仏毀釈の難を逃れるために南洲寺に移されたそうです。

あいにく写真はガラスの反射が強くて撮影できませんでした。是非、現地で直接見て頂きたいと思います。

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高齢者障害者のための環境情報

門前に若干の傾斜あり。舗装がないため車いすはタイヤをとられやすいので注意。スペースの関係上、車いすの場合、月照上人のお墓は遠目に見ることになる。

地図

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